とくによく知られているのは「太白」里帰りの物語です。日本では絶滅していた幻のサクラ「太白」の穂木ほぎ――接木するための小枝を、イングラムは失敗を何度も重ねながら、ついにわが国へ送り届けてくれたのです。
しかし戦後、ふたたび「染井吉野植栽バブル」が起こりました。全国の自治体は、それぞれの大義名分のもとで、競うように染井吉野を植樹したのです。阿部菜穂子さんによれば、成長が早く経済的なこのサクラは、戦後の荒廃からいた早く立ち直ろうとした「新生日本」のシンボルとして、改めて都合よく使われたのです。
ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...
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