2024年2月3日土曜日

あつぎ郷土博物館「渡辺崋山口演」4

 

13代康明には子どもがありませんでしたから、お母さんが異なるとはいえ、康明の弟であり三宅家の正しい血筋を引く友信――当時22歳になっていた友信が、康明のあとを襲うのが正しく、継嗣の道にかなうことでした。そもそも三宅家は南朝の忠臣・児島高徳を祖とし、由緒正しき伝統を誇る家柄だったのです。それがここで絶えてしまうことを崋山は悲しく思ったのです。

ところが田原藩の重臣たちは、姫路藩15万石酒井雅楽頭忠実うたのかみただみつの六男である稲若(実宣みつのぶ)に白羽の矢を立てました。彼を養子として迎え入れ、田原藩を継がせることにしたんです。

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