抱一の写し間違いと考えるには、東博本と『光琳百図』本における雲の表現があまりにも異なっているからです。其一筆「風神雷神図襖」の雲は後者とほとんど同じですが、しかし自信はまったくありませんでした。
ところが畏友・安村敏信さんも早くから同じことを考えていて、静嘉堂@丸の内オープン記念展図録『響きあう名宝――曜変・琳派のかがやき――』に寄せたコラム「抱一の光琳観」でそれをはっきりと指摘したのです。いや、発行日はこのカタログの方が『國華』より早いわけですから、プライオリティは安村さんにあるんです‼
しかし浜松図の原点は、『万葉集』巻 1 に選ばれる山上憶良の絶唱であるというのが私見です。「山上臣憶良 やまのうへのおみおくら の大唐にありし時に、本郷 くに を憶ひて作れる歌」という詞書きをもつ「いざ子ども早く日本 やまと へ大伴の御津 みつ の浜松待ち恋ひぬらむ」がそれ...
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