2022年9月12日月曜日

与謝野晶子私論8

 

三人だけではなく、さらに何人かの忘れがたき女流歌人も、すぐれた歌を詠むためにみずから進んで不幸と苦難を希求しているように思われてなりません。もちろん、この不幸と苦難というのは凡人が見立てるところであり、世俗的という意味であって、彼女たちが住む理想の精神的世界では、不幸や苦難どころか至福であり、悦楽だったにちがいありません。いずれにせよ、すべては歌のためだったというのが私見です。

 『みだれ髪』以後、晶子が大きく羽ばたいていくのに反比例するように、鉄幹は輝きを失っていきました。「晶子の夫」になっていきました。もちろん、晶子は鉄幹の才能を信じていました。そのあたりの心理を、お聖さんは実にうまく表現しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

出光美術館「復刻 開館記念展」3

 去年から微力にもかかわらず出光美術館のお手伝いをすることになった僕ですが、その「僕の一点」は、一対の「青白磁刻花牡丹唐草文吐魯瓶 とろびん 」ですね。中国は北宋から南宋にかけての頃でしょうか、景徳鎮で焼成された逸品です。青白磁は白磁のバージョンですが、影青 インチン とも呼ばれ...