2022年4月3日日曜日

月岡芳年「大日本名将鑑」13

 

チョット意地の悪い見方をすれば、歴史画の必要性というと聞こえはよいのですが、つまり西欧を理想として、追いつき追い越せという焦燥であったということになります。

しかし実際は、上流階級や開明的知識人も、一般庶民と同じで、江戸のDNAを濃厚に宿していたのでした。だからこそ夏目漱石は、「新しい(西洋の)波が寄せる度に自分がその中で食客いそうろうをして気兼ねをしているような気持になる」といったのでしょう。

ひるがえって考えてみると、そもそも近代日本には歴史画など存在しなかったと言った方が正しいように思います。もちろん西欧的歴史画という意味ですが、日本にはニコラ・プーサンも、ジャック・ルイ・ダヴィッドも、アントワーヌ=ジャン・グロも生まれませんでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブータン博士花見会4

  とくによく知られているのは「太白」里帰りの物語です。日本では絶滅していた幻のサクラ「太白」の穂木 ほぎ ――接木するための小枝を、イングラムは失敗を何度も重ねながら、ついにわが国へ送り届けてくれたのです。 しかし戦後、ふたたび「染井吉野植栽バブル」が起こりました。全国の自...