2021年12月21日火曜日

根津美術館「鈴木其一・夏秋渓流図屛風」7

これについては、またまた妄想と暴走があります() 落款およびその書体や画風の観点から、この屏風は天保の終りごろに描かれたものと推定されます。そこで興味深いのは、斎藤月岑が編纂した『武江年表』の天保12(1841)1013日の記事です。

浅草寺本堂修復成就にて、今夜酉下刻、本尊念仏堂<本堂普請中本尊は此堂に安置し奉る>より遷座あり、<遷仏の間は惣門を閉じ、講中の外入る事をゆるさず> 終て暫時開帳あり、道俗群集す、

ここで僕はなぜか唐突に浅草寺の縁起を思い出すんです() 寺伝によれば、推古天皇の36(628)318日、この地の漁師である檜前[ひのくま]浜成[はまなり]と竹成[たけなり]の兄弟が、宮戸川、つまり隅田川の駒形のあたりで網を打っていたといいます。

 

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渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。 僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘...