妻睦子、子の和雄、またともに歌をよくした。『讃酒百首』は猛彦の歿後に和雄が校訂して上木した。その序文の中で、父にうけついだのは酒飲む業ばかりだったといっているところを見ると、和雄もまた酒徒であったらしい。
『連城亭随筆』の記するところに依れば、猛彦少時神に祈り、人生古から五十年という、寿はわが願うところではない、どうか一代の歌人とうたわれるようになりたいといった。後歌人として猛彦の名は世上に鳴った。そして文政十年彼が五十歳に達した時病を発し、二月二十一日というに歿した。
いつ頃の詠であろうか、その編著『春風集』の中に、彼の稲妻の歌がある。
露はなほおくれさきだつほどもあらんはかなきものは稲妻のかげ
と。心を惹かれる歌である。
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