このようなエッセーを書かせてもらっただけじゃ~なく、「写山楼谷文晁 山を愛した時代の寵児」と題する口演までやらせていただくことになりました。いつものように、キーワード、マイベストテン、参考資料からなる配布資料を準備して臨みましたが、ジョークに対する打てば響くような反応は、明るく開かれた県民性や、皆さんが身につけているソフィストケートされたセンスを教えてくれたのでした。
「僕の一点」は、もちろん谷文晁の筆になる「富士山図」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)です。落款書体から見て、文化年間前半期、いわゆる薄書き時代の優品です。文晁は五つ峰の理想化された富士を描いていますが、雲で宝永山を隠したところにも、理想化への強い意志を読み取ることができます。
0 件のコメント:
コメントを投稿