2019年7月7日日曜日

静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史」9


 聞一多や魯迅が膨大な量の中国古典を読んでいたことは、改めて言うまでもありません。そのような知識人の言葉であり、ここには書物の何にも増して強い悪魔的な力が語られているように思います。もちろん僕は、本なんか読んだって仕方がないということを強調するために、あるいは二人の巨人が言っているのだから、確かに本には害毒が含まれているのだということを主張するために、これを引用したのではありません。

それどころか、やはり本は読むべきだと言いたい。とくにスマホでゲームばかりやっている少年少女や青年たちに言いたいと思います。確かに本を読むより、スマホゲームの方がおもしろい――だからこそ、僕はスマホを持たないんです!! スマホを持ったら、四六時中ネットマージャンをやることになるのが怖いんです――語るに落ちるとはこのことかな()

それはともかく、このような近代中国を代表する知識人が、意を尽くして否定しなければならなかったほど、書物には圧倒的エネルギーが内包されているという事実をいいたかったのです。それは初めに指摘したような書物の特性から、おのずと生まれたものにちがいありません。

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