2019年1月21日月曜日

山種美術館「皇室ゆかりの美術」4


青邨は、本来のいい意味で「したたか」だったのです。漢字で書けば「強か」ではなく、「健か」の方がふさわしいでしょう。青邨はそれを奥に秘め、決して表面に出すことをしませんでした。だからこそ、青邨を誰よりも早く見出し、高く評価した横山大観のような、おもしろいエピソードはあまり多くないということになるのです。

しかし青邨は、近代現代に生きる画家として、したたかであるべきだとと自覚していましたから、自覚的健かさといってもよいでしょう。たとえ、今日出海先生が中央公論社版『日本の名画』15<前田青邨>に寄せた、随筆のタイトルである「平凡な非凡人」という青邨観を認めるとしても、その「非凡」のなかに、「自覚的健かさ」を含めたい誘惑に駆られます。

実をいうと、静嘉堂文庫美術館にはこの屏風の下絵が遺されています。いわゆる小下絵[こじたえ]ですが、「献上屏風下図 昭和十年四月吉日」と記入され、落款印章に加えて拡大のための升目罫線も引かれています。構図も完成画とまったく同じといってもよいほどですから、最終段階の小下絵とみてよいでしょう。


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