加えて、ヌードは凝視され、鑑賞されるべき芸術でした。いっぽう春画は、ちょっと見て笑い飛ばすべきものであって、現代の僕たちのように芸術としてじっくり鑑賞し、分析を加えるなどというヤボなことは行なわれなかったでしょう。
そもそも幕末明治初期の我が国では、裸体そのものが町に溢れ、混浴もごく普通でしたが、みんなまったく無関心でした。これも『逝きし世の面影』が教えてくれるとおりです。
あの『日本事物誌』を書いたバジル・チェンバレンは、”The nude is seen in
Japan, but is not looked at”という『ジャパン・メイル』編集者の言を伝えているそうです。もちろんこの”nude”は、「裸体」の意味であって、いま問題としている「ヌード」ではありません。
つまり「朝妝」や「西洋婦人像」がリアリズム絵画であり、それが広く一般に公開され、しかも凝視を強いる芸術であったことが、まず問題となったにちがいありません。しかし、それだけではありませんでした。以上のような外的要因に加えて、内的要因が作用したとき、はじめて政府官権による規制を生んだんだと僕は思います。
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