しかし改めて考えてみると、いくつかのおもしろい問題が浮上してきます。たとえば、国家のモデルを中華文明から西欧文明に乗り換え、つまり脱亜入欧によって新しい近代国家を作ろうとしていた明治政府が、西欧文明の象徴ともいうべきヌードを、なぜ忌避し禁止しようとしたのでしょうか。落ち着いて振り返ると、腑に落ちない話です。
あるいは、ヌードに先立って、江戸時代からわが国には春画というエロティック芸術が流布していたという現実です。ヌードと春画を比べてみれば、だれがどう見たって春画の方が性的であり、ヌードはそれほどエロティックじゃないでしょう。しかしこの二つの問題は、表裏一体をなしているように思います。あえて分けることなく、ごちゃ混ぜにしながら私見を開陳することにしましょう。
春画は為政者によって表向き禁じられていました。とくに天保の改革以後は厳密でしたが、庶民のあいだではほとんど公然と流通していました。当時我が国へやってきた西欧人が、ひとしなみに証言するところです。
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