2018年2月18日日曜日

鎌近「堀文子展」6


柴田安子 1907年(明治40)―1947年(昭和22

東京都に生まれたと推定される。父は秋田県大仙市の素封家最上広胖。幼名義枝。1919年義枝を安子に改名。1925年麹町千代田高等女学校卒業。在学中、日本画家松岡映丘の画塾に通う。1930年映丘を顧問とする子木社が創立され、同人となる。

1931年東洋史学者柴田宜勝と結婚。1935年第7回青龍社展に「牧帰」を初出品初入選。1936年第4回の春の青龍社展に「めらはど」他を出品し、日本画家福田豊四郎に注目される。豊四郎らの新日本画研究会に参加。

1938年新美術人協会の結成に参加。1939年夫宜勝の朝鮮半島滞留にともない、安子も一時朝鮮に行く。1940年堀文子との交流が始まる。第3回新美術人協会展で「灑衣」[さいい]が研究会員賞を受賞。

1943年朝鮮慶州・楽浪などで写生。決戦美術展に「木材供出」を出品、朝日新聞社賞を受賞。1945年山梨県に疎開。終戦後、帰京。1947年逝去。遺骨は郷里角間川の最上家菩提寺浄蓮寺に埋葬される。

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