2017年10月29日日曜日

サントリー美術館「狩野元信」7


これらの問題を考えるとき、最も直接的関係を有する「遺文」は、『歓心本尊抄』であろう。しかしいくらこれを読んでみても、日蓮は本門の本尊、久遠実成の仏を語って、つまり形而上的な本尊を説いて、それを造形化した仏像についてはまったく触れていない。曼荼羅の構成については匂わすところがあるけれども、直接的ではない。もちろん、多くの経典が同様であるけれども、日蓮の場合には特に指摘しておきたいと思う。

いま仏像を中心に概観してきたが、画像についても相似た事実が指摘できるであろう。簡潔なる文字曼荼羅は、華やかな絵曼荼羅や宝塔絵曼荼羅へと展開していく。布教という使命を負った弟子たちが考え出した「方便」であり、文字通りの「譬喩」だったのだろう。やがて伝統的な法華経曼荼羅なども加わって、日蓮宗絵画は発展していくが、それでもかなり抑制的であったように思われる。

十羅刹女や鬼子母神など、むしろ副次的な神仏が好んで絵画化されるようになったことも、それと無関係ではない。文字曼荼羅や題目本尊を最高の本尊と見なして、彫像であれ画像であれ、イメージをその下位に置こうとする観念が明らかに働いている。そしてそれは、日蓮に端を発する思想であったにちがいない。


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