2017年10月28日土曜日

サントリー美術館「狩野元信」6


しかも解説によれば、この寺は初め天台宗寺院として創建されて明国寺と称したが、貞治5年(1366)京都・本圀寺の日伝によって再興され、妙圀寺と改めたという。本来、日蓮宗寺院のため造られた仏像ではなかったらしい。過日、東京・正行院の金子隆一上人から、このような例が少なくないことを教えていただいた。

このカタログには、法華経が説く上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩を釈迦如来の両脇に配する一尊四士像があり、また「南無妙法蓮華経」と刻する題目塔の左右に多宝如来と釈迦如来を祀る一塔両尊像が紹介されている。これらは日蓮宗独自の尊像形式であり、典拠は「遺文」に求められるし、日蓮自作と伝えるものもある。

しかし日蓮在世時に彫像化が行なわれたかどうかは疑問であって、むしろ入滅後始められたのではないだろうか。少なくとも二尊四士像ともなれば、入滅後50年ほどを経過して造られ始めたという。


0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「NEGORO」2

    そのカタログから「ごあいさつ」を掲げて、 根来塗のあらあらと 展覧会の趣旨を知ることにしましょう。   「根 来 」は一般的に、下地を施した木地に黒漆塗りし、朱漆を上塗りした朱漆塗漆器( 朱漆器ともいう) を指します。 おおらかで明快な姿かたちに加えて、長年の使用により表...