また東大寺両界堂といったのは、東大寺大仏殿が正しいようですが、その灌頂会図?は弘安7年(1284)10月に行なわれたものです。これは醍醐寺に所蔵されているそうですが、この図を見ると、蓮華座の東側に金剛界曼荼羅、西側に胎蔵界曼荼羅が掛けられたようです。つまり通常と反対の東金西胎です。
さらに文字の向きをみると、中央の蓮華座の方に文字の頭を向けていますので、金剛界曼荼羅は東側から、胎蔵界曼荼羅は西側から見るように、つまり絵の裏側を蓮華座の方に向けて掛けられたものと推定されます。
そうだとすると、醍醐寺五重塔初層壁画と同じ配置になります。日本でも僕が考える理想的配置が行なわれていたのです。このように見てくると、両界曼荼羅の掛け方に絶対的決まりはなかった――少なくとも日本ではなかったというのが実情に近いようです。
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