先日アップした尻焼猿人こと酒井抱一の一首「御簾ほどになかば霞のかゝる時 さくらや花の王と見ゆらん」ついて一言……。この「御簾」は「すだれ」の尊敬語としての御簾ですが、「見る」の尊敬語である「見す」と掛詞になっています。
御簾を通してご覧になったときのように、ちょっと霞にかすんで見える時こそ、桜も花の王様のように感じられます――と抱一は言っているようです。
不埒 もろともにふりぬるものは書出しとくれ行としと我身なりけり
面倒 色香にはあらはれねどもなま鯛のちとござったとみゆる目のうち
面倒の「ござる」は腐る意だということを、法政大学の小林ふみ子さんに教えてもらいました。色や臭いに現れるほどではないけれども、目を見ると、ちょっと生きが悪くなっちゃっているということがよく分かる――といった意味でしょう。不埒の方は、73歳の僕にとって、分かりすぎるほどよく分かるのです!?
(2017年5月13日改稿)
(2017年5月13日改稿)
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