140万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2017年4月20日木曜日

五山文学の春6


表立って詠われなくても、当然二匹は番[ツガイ]の雌雄のように認識されていたのではないでしょうか。そうだとすれば、ほとんどストレートに後半へつながっていくことになります。

この詩の基底をなすのは、荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶の区別を忘れたという故事です。それを指す「蝶夢」という言葉と、「春夢」という言葉が美しく共鳴しています。

それはともかく、『荘子』において、とくに二匹で遊んだとあるわけではありませんから、おそらくその後に生まれた蝶といえば二匹のツガイという観念が、「春夢」の大切なポイントになっているように思われます。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!23

  最後に唐突ながら、このような密教の思想は伊藤若冲の絵画を考える際にもヒントになるんじゃないかと思いついたんです。すでに「動植綵絵」と「草木国土悉皆成仏」(「山川草木悉皆成仏」)との関係は指摘されてきましたが、これは天台密教僧の安然や証真が唱えた思想だったからです。この点につい...