表立って詠われなくても、当然二匹は番[ツガイ]の雌雄のように認識されていたのではないでしょうか。そうだとすれば、ほとんどストレートに後半へつながっていくことになります。
この詩の基底をなすのは、荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶の区別を忘れたという故事です。それを指す「蝶夢」という言葉と、「春夢」という言葉が美しく共鳴しています。
それはともかく、『荘子』において、とくに二匹で遊んだとあるわけではありませんから、おそらくその後に生まれた蝶といえば二匹のツガイという観念が、「春夢」の大切なポイントになっているように思われます。
0 件のコメント:
コメントを投稿