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2026年9月8日火曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」6

 


どういう絵描きさんなのかと思い、帰宅してからジェミニAIに訊くと、澁澤栄一から数えて4代目の玄孫やしゃごだと教えてくれたので驚きました。そう思ってみれば、確かに像主は澁澤栄一のようです。澁澤青さんがすでに人物画で注目されている新進気鋭の画家であることもはじめて知りました。


脇に置かれた2冊の題名はなぜか鏡字になっていますが、目をこらしてみると一冊は長谷川時雨しぐれの『旧聞日本橋』です。かつて岩波文庫で読んだ、いや、チョット拾い読みをした名随筆です長谷川時雨がみずから創刊した女流文芸雑誌『女人芸術』に、少女時代を回想して「日本橋」を執筆寄稿したのは昭和4年1929から7年まででした。これを『旧聞日本橋』と改題して単行本にまとめ、岡倉書房から出版したのは昭和10年のことでした。岩波文庫版の解説によるところです。

2026年9月7日月曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」5


  レセプションのまえに東京都美術館で、全24室すべての作品を鑑賞させてもらいました。岡倉天心の理想的浪漫主義や、横山大観が書いた「日本美術院綱領」にある「世界最高の情趣を顕現する」が、今もなおしっかりと守られていることをとてもうれしく感じたことでした。中村賞は奨励賞クラスから選ぶことになっていましたので、今回も奨励賞を受賞した作品に関心が向くことになりました。

そのなかの「僕の一点」は、澁澤青さんの彩管になる男性の肖像画「行く道と、来た道」ですね。院展では珍しい肖像画という画題にチャレンジした心意気と、像主に対する尊敬の念がうかがわれて感を深くしました。タイトルをみると、単なる肖像画じゃ~ないのかとも思われました。

2026年9月6日日曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」4

 


それが奇縁となって、このたび日本美術院の外部から意見を述べつつ応援するような役目を仰せつかりました。上野精養軒で開かれたレセプションで挨拶を求められた僕は、日本美術院との関係を3つ述べてそれに代えることにしました。もちろん一つは先の前田青邨顕彰中村奨学会と中村賞ですが、もう一つは岡倉天心が明治22年1889創刊した『國華』の編輯半世紀以上かかわってきたことです。


さらにディレクターをつとめていた秋田県立近代美術館で「平山郁夫展 大唐西域への道」を開催させていただき、多くの県民が平山芸術に酔いしれたことを加えました。『國華』編輯の件では、またまた天心創刊の辞を音吐朗々と暗唱して拍手と笑いを強要しましたが、第111回再興院展記念レセプションには、あまりふさわしくなかったかな( ´艸`)

2026年9月5日土曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」3

 


それから数えて第111回目の日本美術院展覧会、通称「院展」が9月1日東京都美術館でオープンしました。そのカタログに、評議員の佐藤道信さんが「日本美術院」と題して詳しい歴史を書いています。カタログを求めた方はぜひお読みいただきたいと思います。上記はそれに私見をまじえて要約したものにすぎません。


もう15年ほどまえでしょうか、尊敬して止まない前田青邨画伯のお孫さんにあたる中村まり子さんと眞彦さんのご夫妻が、前田青邨顕彰中村奨学会を立ち上げ、院展奨励賞クラスの若き才能を毎年二人ずつ顕彰する中村賞を創設されました。まり子さんのご尊父である秋山光和先生に教えを受けた僕にも、チョッとお手伝いをする機会が与えられました。第1回は秋田県立近代美術館HPの「おしゃべり館長」に、第6回と〆の第10回は「饒舌館長ブログ」にレポートをアップしたはずです。


2026年9月4日金曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」2

 


ほとんど自分で創った東京美術学校の校長職を追われるがごとくに辞した明治31年1898の秋、岡倉天心は東京谷中初音町に日本美術院を開設しました。連袂辞職した橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らが天心を支えました。ここに真の意味で新日本画が誕生したといっても過言ではありません。


しかし数年後には経営が思わしくなくなり、明治39年1906、茨城県の五浦に日本画の研究所を移しました。それは雌伏時代でしたが、また創造的時代だといってもよいでしょう。


大正2年1913、盟主の天心が没します。ここに横山大観を中心にして日本美術院は五浦時代末期の沈滞ムードを吹き飛ばすべく再興を期し、翌年開院式と第1回展を開催しました。公的な文展から距離を置く在野の美術団体として、前途の多難が予想される厳しい再出発を果たしたわけですが、すぐれた才能がすぐにたくさん集まり近代日本画の主流へ発展していきました。

2026年9月3日木曜日

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」1

 

東京都美術館「再興第111回 日本美術院展覧会(院展)」<9月17日まで>

 きわめて多面的な岡倉天心の業績ですが、大きく以下の5つにまとめることができると思います。

 ①近代国民国家にふさわしい新しい美術――とくに新日本画の創造

 ②教育機関である東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)と日本美術院の創設

 ③古文化財保護を目的とした古社寺保存法や国宝保存会の制定創設

 ④美術雑誌『國華』の創刊

 ⑤英文による3大名著の執筆出版


②③④は①の新日本画の創造に資するためという意識が強かったように思いますが、これを僕は「天心の5大業績」と呼んでいます。そのうちの一つが東京美術学校の大学院に相当する日本美術院の創設です。

2026年9月1日火曜日

追悼 草間彌生さん2


 

 草間がいま85歳であることを考えれば、尊敬に値することです。しかし固定観念にとらわれやすい日本人は、戸惑いながら会場をあとにするかもしれません。かくいう僕も、一番好きなのは、静岡県立美術館の「無題」(1959)なのです。


作日、『無限の網 草間彌生自伝』をはじめて読みましたが、外国大学からのオファーにこたえる勇気をもたなかった小心者の僕にとって、草間は異次元に生きる人間のように感じられたことでした。


先日、京都市立銅駝美術工芸高等学校へ挨拶にうかがったとき、校長の中村則和さんから、草間がここの卒業生であることをお聞きしました。この変った校名は、洛陽から西域に向かう地点に銅でできた駱駝が立っており、それに由来する平安京以来の「銅駝坊」にちなむものだそうです。このアールデコ風の校舎で学びながら、草間は自由なアメリカへの憧れを高ぶらせていったのでした。


*上掲のただ薄い鼠色に見える平面が、草間彌生さんの静岡県立美術館所蔵「無題」という作品です。饒舌館長が選ぶベストワンですね。

 

日本の将来に不安を抱かないではいない現在、東博の「空海と真言の名宝」展は必見です!!17

   もっとも「本能的な欲望を、そのまま無条件に肯定するわけではなく、欲望を一度は空として否定したのち、それが持つ本来的な生命力を取り出し、そこではじめて欲望の全面的な肯定が成り立つ」そうです。こういう付帯条件をつけられると、僕などはヒドク混乱してしまうのですが、一義的には本能的...