児島薫『藤島武二研究 「東洋」の女性像 「帝国」の風景画』中央公論美術出版 2026年
藤島武二は大好きな洋画家の一人ですが、これまた大好きな川喜多半泥子が本書に登場するので、うれしくなってしまいました。挿絵の「桜の美人」(石水博物館蔵)をながめながら、かつて半泥子ゆかりの石水博物館で、半泥子へのオマージュを捧げたときのことを思い出したんです。
30年ほど前でしょうか、児島さんが著わした「新潮美術文庫」の『藤島武二』を読んで感を深くしましたが、このポケットブックを438ページのモノグラフに発展充実させた児島さんの努力をたたえたいと思います。出光美術館が出版のお手伝いをさせてもらったことも是非書き添えておきましょう。児島さんは「本書のねらい」を次のように語っています。
藤島が当時の台湾や「朝鮮」、中国を訪れたことの意味についても考察する。戦前の日本の帝国主義、植民地主義について考えること無しに純粋に絵画としてモダニズムの文脈で語ることは、藤島が生涯取り組んだ仕事の全体像を狭め、意義を減じてしまうと考える。
藤島の評価の中心を、国家的な、あるいは公的な依頼画を受けるようになる以前の時期に留め、「浪漫主義」という個人的、感覚的な文脈に取り込むことによって、その仕事を帝国主義、植民地主義の時代の文脈から引き離すことになった。
しかし児島さんは事実だけを指摘し、その事実に目を向けるべきことを示唆しながら、早急な個人的評価をあえて避けようとしているようです。真善美の美を扱う美術史研究者としてたたえられるべきスタンスであり、本書の価値を高めています。マックス・ウェーバーが『職業としての学問』で指摘するように、これこそ教育者の理想です。
僕は児島さんの文脈コンテクストにおける今昔問題(!?)を、とても興味深く拝読しました。というのは、僕も江戸時代の絵画を江戸時代という文脈のなかで考えようとはしますが、20世紀半ばに生まれた人間にとって、きわめて難しいことだからです。
どうしても困難な道は回避して、現代に生きる僕の視点から、つまり現代の文脈から観察し記述するという安易な方法をとってしまうんです。これこそ児島さんが批判するところなのですが……。原稿を書き上げて、これじゃ~まずいかなと思っても、結局は「これでよいのだ!!」と活字にしてしまうんです( ´艸`)
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