それは早く朝鮮美術への親愛から生まれた「朝鮮民族美術館」設立計画となって現われましたが、民藝という観点からいえば、まだ萌芽の段階に留まっていました。そこから木喰上人の研究を通して、純粋な民藝哲学に飛躍するターニング・ポイントが大正14年でした。
この年、36歳の柳は河井寛次郎、濱田庄司とともに、「民藝」という新しいテクニカルタームを発明したのです。いや、翌年発表された「日本民藝美術館設立趣意書」を読むと、民藝という新語を作ったのではなく、民藝が柳によって発見されたのだという感を深くします。
実はさる 3 月 29 日の土曜日、この「桜 さくら SAKURA 2025 」展にちなんで、「桜を描いた名品佳品 饒舌館長ベストテン」と題する講演を、いや、口演をやらせてもらいました。会場は山種美術館から歩いてすぐのところにある國學院大學院友開館、足元のよくないなか、 1...
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