薩都刺「酔歌行」2
豪華な朱塗りのお屋敷の 二十歳はたちを迎えた御曹司おんぞうし
飲んで霜降り食ってるが 古典の一字も読めません
それに引きかえこの俺は 学問するから多事多難
一家の糧かてをかせぐため 無数の憂いの巣となった
友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社 1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...
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