烟浦帰帆<遠浦帰帆>(胡宗仁「茂之乞画楚山図 余将游武林走筆戯答」)
すでに帆を揚げ我が船は 夜の明けるのを待っている
日に日に強まる旅心 とても我慢はできません
描きたいのだ 楚の国の 青く広がる山々を
今に伝えるオモテナシ 期待し山を越えゆかん!!
結句の「余行」とは「後世に伝えられている行ない」のことだそうです。「看」にはもてなしの意があるので、楚の成王にまつわる故事を思い出し、「戯答」らしくこんな風に訳してみましたが、実のところ自信がありません。
友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社 1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...
0 件のコメント:
コメントを投稿