日本の三重の塔や五重の塔は、パゴダが中国・槿域を経由して日本的変容を遂げたものにほかなりません。我が国初期の伽藍配置である飛鳥寺式や四天王寺式をみると、塔が境内の中心に位置しています。それはパゴダが寺院の中核であったことのかすかな記憶だといってもよいでしょう。
だからこそ、一度ミャンマーを訪ねて実体験しなければ、日本仏教美術史を語ることなんてできるものじゃ~ないと思います。しかし後期高齢者に、その機会は残されているものでしょうか?(笑)
ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...
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