2022年3月11日金曜日

原在明のネコ絵7

 

チョットまた朔旦冬至に戻りますが、南畝が「乙丑至後」と書いているのは、冬至の後の日の意味だと思われます。また南畝は、この賛を浪速の客舎でしたためたと書いていますが、『南畝日記』よって、このとき南畝は大坂に居たことも確かめられるのです。

 僕が原在明という画家にはじめて興味を覚えたのは、昭和45年(1970114日、日本橋・三越本店7階ギャラリーで開催されていた「京都御所・桂離宮展」で、その筆になるカルタ(霊鑑寺門跡蔵)を見たときでした。魚をモチーフにした絵10枚、詞10枚からなるカルタで、父在中の動物絵10枚、詞10枚からなるカルタとセットになっていました。障屏画家と思っていた在中に、このような遊戯的作品があることに驚くとともに、在明の的確な画技に心惹かれるものがありました。


0 件のコメント:

コメントを投稿

ブータン博士花見会4

  とくによく知られているのは「太白」里帰りの物語です。日本では絶滅していた幻のサクラ「太白」の穂木 ほぎ ――接木するための小枝を、イングラムは失敗を何度も重ねながら、ついにわが国へ送り届けてくれたのです。 しかし戦後、ふたたび「染井吉野植栽バブル」が起こりました。全国の自...