しかし杜牧の「清明」は、米山人も馴染んでいたにちがいない『唐詩選』にも『三体詩』にも選ばれていません。ところがその後、明治大学の池沢一郎さんから、『聯珠詩格』と『千家詩』に載っていることを教えてもらいました。『聯珠詩格』は持っているにもかかわらず記憶になかったのですが、与謝蕪村が愛して止まなかった『聯珠詩格』を、米山人も愛唱していたことが分かって、とてもうれしく感じたことでした。
またこの唐詩にある杏花村は、大好きな汾酒で有名な山西省汾州の地名だと思い込んでいました。しかし先の『千家詩』に載ることを教えられ、試みに張哲永という研究者の『千家詩評注』を読んだところ、この杏花村は杜牧が池州刺史をつとめた安徽省貴池県の地名であることが分かって、不明を恥じたことでした。
山西省汾州以外にも、杏花村は少なくないそうですが、すべてこの詩によって後世名づけられたものであることも分かって驚きました。
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