140万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2019年9月22日日曜日

諸橋轍次博士と石井茂吉氏2



やがて石井氏は星製薬に転じましたが、この会社に問題を感じて即刻退社、森沢信夫氏――後に袂を分かつことになるのですが――と協力し、試行錯誤を重ねて写真植字機第1号を完成させたのです。その後いく多の困難に打ち勝ち、また紆余曲折を経ながら、写真植字機の改良を重ね、事業として発展させるとともに、タイポグラファーとして新しい石井書体を編み出していきました。

ちょうどそのころ、諸橋轍次先生のもと『大漢和辞典』の編集が進められ、第1巻の刊行までこぎつけましたが、すでにアップしたように、その鉛原版と資料が東京大空襲により、すべて失われてしまいました。出版を推進していた大修館書店の鈴木一平氏は、以後これをすべて写植によることとし、石井氏にその原字の製作を依頼しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世へのいざない」6

   伊勢地方では、昔松阪町殿町に住んでいた徳川紀州藩士、継松栄治がカワラナデシコ(カラナデシコの誤り?)を栽培していたところ、偶然花弁の長い変種が発現した。これを改良したのが伊勢撫子のはじめと主張する 人 もある。  嵐冠十郎が持ち上げているのは イセナデシコ じゃ ~ ありま...