2018年1月7日日曜日

前方後円墳7



それではなぜ日本で、アニミズムやシャーマニズムが遅くまで残ったのかという質問に対しては、日本の自然や風土や四季のしからしむるところであったといか言いようがないでしょう。

いずれにせよ、それを実証する首長こそ、かの卑弥呼にほかならないのです。弥生時代後期というか、古墳時代初期というか、239年の段階で、魏の国に、もちろん呉の国にも、蜀の国にも卑弥呼のような女王はいなかったでしょう。『魏志倭人伝』があれほど詳しく卑弥呼のことを記録しているのは、女王であったことが大きな理由であったにちがいありません。

前方後円墳時代にも、まだまだ古い風習や観念、言ってみればアニミスティックな女主男従の観念が残っていたのだと思います。実際は倭の五王に象徴されるように、男性が支配する社会になっていたのですが、日本ではアニミズムやシャーマニズムがまだまだ強く生き残っていたのです。

それが天圜地方と融合してハイブリッド化したとき、天を女性として後円に、地を男性として前方に視覚化され、世界や宇宙の表象となったのです。天・円・女、地・方・男――これが僕の考えです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』8

  渡辺浩さんの『日本思想史と現在』というタイトルはチョッと取つきにくいかもしれませんが、読み始めればそんなことはありません。先にあげた「国号考」の目から鱗、「 John Mountpaddy 先生はどこに」のユーモア、丸山真男先生のギョッとするような言葉「学問は野暮なものです」...