2017年10月18日水曜日

東京国立博物館「運慶展」8




不動明王はヒンドゥ教の神が仏教に取り入れられ、如来の使者となったものです。つまりインドに起こり、中国で展開した仏様ですが、きわめて盛んに造像作画が行なわれ、不動信仰が高まり広まったのは我が国においてでした。

その理由は、不動明王がもともと子供だったことにあるというのが私見です。善無畏訳『大日経』には、「不動如来使者は慧刀・羂索を持ち、長髪左肩に垂れ、一目にしてあきらかに見、威怒身で猛炎あり、磐石上に安住している。額に水波の相があり充満した童子形である」とあります。実際には壮年の形に作られますが、童子形であったという記憶は、8人の子供という珍しい眷属のなかに生きているのです。

エドワード・モースをはじめ、近世以降わが国に来た西洋人は、子供が大切に育てられていることに驚きの声をあげています。その根底には、子供を純粋無垢なるものと考える日本人の伝統的感覚があったのです。

静嘉堂文庫美術館所蔵の浄瑠璃寺旧蔵十二神将立像7体も出ています。しかも、東京国立博物館所蔵の5体と一緒に、つまり12体そろった完全な形で……。最近、ふたたび注目されているこの優品については、そのうち稿を改めて、いや、ブログを改めて……。 

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