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2017年6月1日木曜日

国華「田能村竹田の勝利」とエルヴィス・プレスリー2


しかし、封建社会というシステムの側からではなく、竹田の心理的内面にまで分け入ってみれば、まったく反対の結論にも導かれるのではないでしょうか。竹田に軽蔑唾棄された俗物や、遁走された岡藩こそ、実は敗者だったのです。

長年思ってきたこんな見方から、このたび『國華』1459号に、「田能村竹田の勝利」と題する拙文を寄稿しました。もちろん、恐れ多くも、吉澤先生に対する反論などではありません。

先生は「田能村竹田の敗北」を、「このような日本の芸術家がたどらなければならなかった悲しい運命の一つの型を、わたくしたちは、いわば渡辺崋山とは対蹠的に、竹田に見ることができるのではないだろうか」という疑問形で結んでいます。これに答えた僕のアンサーエッセーが、「田能村竹田の勝利」なのです。

 

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