2017年5月2日火曜日

銭湯活動家・湊三次郎さん


京都の老舗銭湯を受け継いだ銭湯活動家「湊三次郎さん」

 今日の朝日新聞「ひと」欄に湊さんという方のすばらしい紹介が載っていました。湊さんは消えゆく銭湯文化を守ろうと、2年前、京都下京区の銭湯「梅湯」を受け継ぎました。明治時代から続くという老舗でしたが、廃業寸前でした。湊さんは浜松市の出身ですが、京都の大学に進み、自転車で銭湯を回りました。銭湯に魅入られた湊さんは、銭湯サークルを立ち上げ、全国800軒の銭湯を行脚、卒論のテーマももちろん銭湯に決めたそうです。

京都の銭湯も1970年の3割、140軒に激減しましたが、湊さんは、「経営者も銭湯マニアも嘆くだけ。自分でやるしかない」と、銭湯活動家を名乗り、せっかく就職したアパレル会社を10ヶ月で辞めました。そして名古屋の銭湯に1ヶ月間住み込んで修行、親御さんに400万円を借り、梅湯を整備しました。浴場でライブを催し、週末には朝風呂、大晦日は終夜営業――こうした努力の結果、若い女性や外国人も訪れるようになり、160人だったお客さんは倍に増えたそうです。

前のブログにもアップした通り、僕も銭湯ファンですが、確かに銭湯の衰退を嘆いているだけでした。「申し訳ありません! 26歳の湊さん頑張れ!!ところで先日も東逗子の「あづま湯」を訪ねて至福のひと時を過ごし、愛子さんの「花言葉 千種に敦い愛おしさ」とある俳画色紙を鑑賞して帰ってきたところです。お会いしたことはありませんが、愛子さんは近くにお住いのお年をめした女性らしい。あづま湯では、彼女の最新作が必ず入口のところに掛かっています。銭湯が美術館になっているんです!
 ところで三無主義者の僕も、もちろん湊さんと同じ自転車で銭湯へですよ!!

 

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