2017年5月8日月曜日

出光美術館「茶の湯のうつわ」


出光美術館「茶の湯のうつわ――和漢の世界」<64日まで>(424日)

 茶の湯ブームなのでしょうか。たくさんの茶の湯展が同時に開かれています。出光美術館のほかに、東京国立博物館でも、畠山記念館でも、国立近代美術館でも……。さて、この出光美術館展は、とくに江戸時代に焦点を絞りながら、武家のみならず、公家、豪商、さらには町衆まで広く愛好されるようになった茶の湯の実態を、多種多様をきわめた「茶の湯のうつわ」によって視覚化したものです。

企画したキューレーター徳留大輔さんの、中国陶磁を含めた鳥瞰的視覚が、とても理解しやすく、魅力的な展示のうちによく感じ取れるのです。また、出雲・松平不昧公を中心として編集された茶の湯の道具帳である『雲州蔵帳』が、出光美術館には所蔵されてきました。13年ぶりの公開を兼ねた「雲州蔵帳とその美」という特集展示も必見ですよ!!

 「僕の一点」は「五彩十二ヶ月花卉文杯」です。じつは去年『國華清話会会報』に、今は亡き天羽直之さんから求められるまま、「わが愛する三点」というシリーズ・エッセーに寄稿しました。水尾比呂志さん、辻惟雄さん、小林忠さんに続いての御下命ですから、向こうを張るのは所詮無理、饒舌館長風に「ジャンクで一杯!?」という、文字通りの駄文になっちゃいました。これから河野コレクションの「花卉文杯」に関するところを、バージョンアップしながら再録することにしましょう。

「十二ヶ月花卉文碗」には、1996年、北京で出会った。あの忘れることができない1989年に続いて、再び北京日本学研究センターの講師として出かけた時である。ある日、自転車で西単の慶豊包子まで食べに出かけた。そのあと王府井のあたりを冷やかしていると、ある工芸品店でこれを売っていたのである。

もちろん煎茶碗(茗碗)であるが、一杯やるのにちょうどいい。以前、瑠璃廠<ルーリーチャン>で十二客揃いを見たことがあったが、当然かなり高かった。ところが、ここではばら売りをしている。僕は1月と12月を選んで、しっかりと包んでもらった。

清朝・康熙年間、景徳鎮官窯で焼成された組物の碗で、それぞれの月の花に、唐詩から引用した七言二句が添えられている。中国では、明代末期から旧暦2月中旬のお節句「花朝」がはやり始めた。これは各月の花の神様――花神に捧げる祭礼で、この碗はその時に使われたともいう。

日本では、出光美術館と静嘉堂文庫美術館に揃いの絶品がある。僕のはもちろんずっと下るコピーで、1月の一字を間違えているところがご愛嬌だが、なかなかよくできていて、紹興酒にも日本酒にもよく合う。詩句はほとんどが『全唐詩』から採られており、1月もそれに載る白楽天の「迎春花を玩んで楊郎中に贈る」だという。僕の戯訳で紹介することにしよう。

  春まだ寒くふるえてる 金の花房 翠[あお]い萼[がく]
  黄色い花はいろいろと あるけど黄梅ナンバーワン
  旅立つ君に贈りたい 「老眼? 目じゃない!」花眼とも
  いうから花だけ見てほしい 無粋な蕪[かぶ]など目もくれず

 『諸橋大漢和辞典』に「花眼」を求めると、「ぼんやりとかすんだ眼」とありますが、現代中国語の「花眼」は老視眼の通称、つまり老眼のことです。この白楽天の詩でも、やはり老眼の意味で使われているように思われますので、唐の時代から花眼には老眼の意味があり、それが現代中国語まで伝えられているのではないでしょうか。それはともかく、本来は煎茶碗だったとしても、僕にとってはあくまで酒杯――徳留さんが「花卉文杯」と名づけてくれたのは、僕の趣味が以心伝心で届いたからにちがいありません!?

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