2017年5月27日土曜日

両界曼荼羅私論補遺1

 先に三井記念美術館の「西大寺展」を紹介し、その紺紙金泥「両界曼荼羅図」を「僕の一点」に選んで駄弁を弄しました。その後、すでに紹介した三本周作さんに「饒舌館長」をご笑覧いただきたい旨メールしたところ、大変心こもるお返事をいただき、研究者としての真摯な態度に深く心を動かされました。

まず、僕が神護寺真言堂と紹介したのは、東寺灌頂内道場が正しいそうです。この「東寺灌頂内道場図」は、東寺に所蔵される重要文化財指定資料で、仁平4年(115436日に行なわれた灌頂会の様子を平面図化したものです。もっとも書写年代は南北朝時代らしいのですが……。

講演を聞きながらチラッとスライドで見ただけだったので、僕は方位などを誤認していました。三本さんから送ってもらった図をよく見ると、西側に金剛界曼荼羅、東側に胎蔵界曼荼羅の敷曼荼羅をしつらえたようです。断定はむずかしそうですが、もしそうだとすると、東胎西金という一般的な配置になりますから、先にアップしたことは、すべて削除して訂正しなければなりません。

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