しかし聞いていた僕が、飛び上がるほどうれしくなったのは、神護寺真言堂の平面図がスクリーンに写し出されたときでした。今はなくなってしまった真言堂の平面図で、鎌倉時代のものだそうです。そこで灌頂会が行なわれたときの平面図なのですが、東側に金剛界、西側に胎蔵界と四角に囲って書いてあるではありませんか。
発表終了後、改めて三本さんにお訊ねすると、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を掛け、その中央にお坊さんが座って灌頂会を行なったそうです。生身のお坊さんと心柱を取り囲む壁画という違いはありますが、醍醐寺五重塔初層の荘厳とまったく同じだといってよいでしょう。
ただし、その平面図から裏表をどのように掛けたかはよく分からないようでした。普通に考えれば、お坊さんの方に絵を向けて掛けたように思われますが、すでに述べたところから明らかなように、曼荼羅の方位と自然の方角が齟齬してしまいます。
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