2018年8月29日水曜日

夏もやはり李賀6


原詩を七五調の日本語に言いかえればそれで立派な翻訳だとする考え方もあるようだが、凝縮的で無数の引用から成る原詩のニュアンスは、それでは決してつかめない。それは、日本語の詩なのかも知れないが、原詩とは無縁である。いや、七五調が詩なら、歌謡曲や浪曲も詩ではないか。日本は世界一の詩人国になるであろう。

 さすが漢学者の荒井さんだと感を深くします。しかし僭越ながら僕は、歌謡曲や浪曲も立派な詩であり、そこに詩歌の国である日本が象徴されていると思っています。七五調あるいは五七調のすぐれた庶民的伝統は、『万葉集』の防人の歌から、毎週楽しみにしている「朝日歌壇」や「朝日俳壇」まで、脈々と受け継がれているのではないでしょうか。

この庶民性こそ、詩歌の国日本のもっともすぐれた特徴じゃないでしょうか。『古今和歌集』序の精神は、確実にDNAとして僕らの血のなかに残っているんです。サラ川の傑作「この俺に温ったかいのは便座だけ」に至るまで(!?)


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