2024年11月21日木曜日

追悼 高階秀爾先生16

 

 総合司会の大高保二郎さんがみごとに〆れば、2024鹿島美術財団東京美術講演会もほぼ定刻に終了、会場を地下ホールに移して、コロナ明け初のレセプションとは相なりました。僕たちは高階秀爾先生の一日も早き快復を祈念しつつ歓談、杯を重ねましたが、9日後に幽明界を異にされるとは誰も知りませんでした。これまた「朝日歌壇」に捧げられた鎮魂歌2首をもって、マイ追悼の辞を閉じることにしましょう。

  ピカソの絵目鼻ちぐはぐなる意味を教へてくれし『名画を見る眼』

そんな眼をもちたいものと思いしは高階さんの「名画を見る眼」              

*「饒舌館長ブログ」では、お元気な方は「さん」づけにし、鬼籍に入られた方のみ「先生」とお呼びすることにしておりますので、よろしくお願い申し上げます。


2024年11月20日水曜日

追悼 高階秀爾先生15

 こんなに素晴らしい我が祭りの伝統が、実利主義やグローバリゼーション、あるいは天災や疫病の流行、そして何よりも少子高齢化によって、失われてしまうのではないかという危惧がないではありません。しかし心配するには及ばないと思います。

私たちの社会には、日本の祭りが形を変えつつもチャンと生き続けているからです。長嶋茂雄にならっていえば、日本の祭りは不滅です!! それを僕に確信させてくれたのは、最近「朝日歌壇」に載った2首の佳吟でした。

  町内をワッショイの子らを引き連れて神輿みこしを乗せた軽トラがゆく

夏祭り吹奏楽のお母さん子をおんぶしてマリンバを打つ

 

2024年11月19日火曜日

追悼 高階秀爾先生14

この気風は無論近世に始まったものではない。従って既に明治以前からも、村里の生活にも浸潤して居た。村の経済の豊かな年には、農民はいつもこの「見られる祭」を美しくしようと心掛けつつ、しかも一方には彼等伝来の感覚、神様と祖先以来の御約束を、新たにしたいという願いを棄てなかった故に、勢い新旧の儀式の色々の組合せが起り、マツリには最も大規模なる祭礼を始めとして、大小幾つと無き階段を生ずることになり、一つの名を以て総括するのも無理なほど、さまざまの行事が含まれることになったのである。

 

2024年11月18日月曜日

追悼 高階秀爾先生13

しかしこれは五味さんをはじめ、皆さんの興味をあまり引きませんでした。むしろ資料にあげただけにもかかわらず、柳田國男「日本の祭」から抜いた一節の方がウケたようです。これこそ我らが祭りのキモだと思って引用したのですが、総合司会の大高保二郎さんがとくに取り上げてくれたので、「ヤッター」という気持ちになりました()

日本の祭の最も重要な変り目は何だったか。一言でいうと見物と称する群の発生、即ち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観察する者の現われたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや毀れ、しまいには村に住みながらも祭はただ眺めるものと、考えるような気風をも養ったのである。

 

2024年11月17日日曜日

追悼 高階秀爾先生12

 花祭にかぎらず、日本の祭りや芸能の研究のむずかしさは、幾重にもかさなって日本におしよせた大陸の文化を重層的にとりこんでいることである。その表皮を一枚一枚はがしてゆけば、芯にはなにものこらなくなることを覚悟しておかねばならない。日本の独自性をいうならば、素材を組みあわせる演出の技術をみるべきであって、素材自体は海外から渡来したものがほとんどをしめている。

 「芯にはなにものこらない」には反発を覚える方もいらっしゃるでしょうが、僕は()として宗像大社のみあれ祭図――よい作例がなかったので棟方志功の「宗像宮神樹の柵」で代用しました――、()として日吉山王祭礼図屏風、()として祇園祭礼図屏風、()として悠紀ゆき・主基すき屏風をあげ、僕が勝手に第5カテゴリーに加えた人への信仰、ある意味での政治的信仰として、豊国祭礼図屏風を映して〆としました。

 

2024年11月16日土曜日

追悼 高階秀爾先生11

  ()すべてをのみこんで豊饒な幸にかえしてもどしてくれる海の信仰

  ()豊饒な恵みに感謝し、母の胎内に比定した山にこもって再生をはたす山の信仰

  ()善神の力をかりて不幸をもたらす悪霊をはらう儺の信仰

  ()善神に同化してその力を体内にとりこんで再生する種子の信仰

 四つの日本の祭りのタイプはけっして日本に固有のものではなく、源流をさかのぼってゆけば、アジアに共通するものである。花祭はこの四つのタイプの特色をすべてそなえており、この祭りの成立の複雑さをおもわせるのであるが、その基本モチーフの「生まれ清まり」は()()に由来する信仰である。()型は稲作文化とともに渡来したもっともあたらしい祭りのタイプであったが、それにしても日本への渡来の時期は稲作文化の渡来とともに弥生にまでさかのぼる。しかも、そののちの仏教、修験道、シャーマン儀礼などの影響もとりこんで花祭は成立しているのである。

 

2024年11月15日金曜日

追悼 高階秀爾先生10

しかし少しでもカッコウをつけようと思い、かつて読んで強く印象に残っている諏訪春雄さんの『日本の祭りと芸能 アジアからの視座』(吉川弘文館 1998年)の分類を援用することにしました。諏訪さんは次のように指摘しています。

 日本列島には有史以前から幾次にもわたって大陸から文化の波がおしよせてきていたのであり、日本の花祭(霜月神楽)の基本構造もその波にのって大陸から朝鮮半島を経由して日本にわたって来たとかんがえることができる。その大陸渡来の文化のなかで日本の祭りにもっとも深刻な影響を与えたのは、稲作にともなう祭りであった。

 日本の祭りの類型は基本の信仰モチーフによって、大きくつぎの四つに分類することができる。

 

追悼 高階秀爾先生16

   総合司会の大高保二郎さんがみごとに〆れば、 2024 鹿島美術財団東京美術講演会もほぼ定刻に終了、会場を地下ホールに移して、コロナ明け初のレセプションとは相なりました。僕たちは高階秀爾先生の一日も早き快復を祈念しつつ歓談、杯を重ねましたが、 9 日後に幽明界を異にされるとは...