2025年4月9日水曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」8

 最後に、山種美術館「桜 さくら SAKURA 2025 美術館でお花見!」展のチラシに刷られたコピーを紹介することにしましょう。そこにある「はらはらと散っていく儚はかなさ」は、新渡戸稲造にならって言えば薔薇に欠けている美しさです。

暖かな陽光がさし始める春。草花が芽吹き、心躍る季節です。なかでも私たちの気持ちを浮き立たせるのは、桜の開花ではないでしょうか。このたび当館では、桜の名品を一堂に展示し、美術館にいながら、お花見に訪れたかのように気持ちが華やぐ展覧会を開催します。

桜がらんまんと花を開かせた時の美しさと、はらはらと散っていく儚さは、古くから日本人の心を魅了してきました。芸術の世界においても、古来、詩歌に詠まれ、調度や衣装などの文様に表されるとともに、絵画にも盛んに描かれています。近代・現代の日本画でも、桜は多くの画家が取り上げたテーマであり、画家の個性や美意識が反映された多種多様な表現をみることができます。……2025年春、個性豊かな桜の絵画で満開となった会場で、お花見を楽しみながら、春を満喫していただければ幸いです。

 

2025年4月8日火曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」7

今回は奥村土牛の傑作「醍醐」がポスターのメインイメージに選ばれ、目玉にもなっているので、とくに土牛芸術に力を入れてしゃべりました。もちろん大好きな画家でもあるからです。

遅咲きの画家といわれる土牛は、一歩一歩着実に独自の土牛様式を創り上げていきました。人の真似できない真なる創造的人生を生きた画家だったと思います。神童と呼ばれることはなかったかもしれませんが、遅咲きの天才とたたえたいのです。

それは自伝の『牛のあゆみ』というタイトルに、何よりもよく象徴されています。虚飾を廃した訥々とした語り口にも魅了されます。土牛が101歳まで創造の筆を折らなかったことも見習いたいと思いますが、コチトラあと20年はゼッタイもちませんよ()

モチーフとなった醍醐の「太閤しだれ桜」を組織培養した桜が、4年ほど前でしょうか、山種美術館の玄関横に植えられ、花を咲かせ始めました。文字どおりこの展覧会に錦上花を添えているのです!!

 

2025年4月7日月曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」6

 

実はさる329日の土曜日、この「桜 さくら SAKURA 2025」展にちなんで、「桜を描いた名品佳品 饒舌館長ベストテン」と題する講演を、いや、口演をやらせてもらいました。会場は山種美術館から歩いてすぐのところにある國學院大學院友開館、足元のよくないなか、120人もの方々が聴きに来てくださいました。欣快の至りとはこういうことをいうのでしょう。

マイベストテンは橋本雅邦「児島高徳」、菱田春草「月四題のうち春」、渡辺省亭「桜に雀」、小林古径「弥勒」、横山大観「山桜」、速水御舟「あけぼの・春の宵のうち(春の宵)」、川合玉堂「春風春水」、奥村土牛「醍醐」、川端龍子「さくら」、加山又造「夜桜」ですが、同じ画家の代表作を含む参考作品と、番外として寺崎広業「花見」(木版口絵)を加えました。


2025年4月6日日曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」5

 

 桜と相性がよい文学は和歌でしょうが、漢詩だって負けてはいません。先に紹介した渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ』に江戸末期に鳴った漢詩人・藤井竹外の七言絶句「芳野」が載っています。またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。

  古き陵みささぎ――松柏まつかしわ つむじ風受け吼えている

春の爛漫 山寺に 尋ねりゃ桜は散ったあと

  雪の眉毛の老僧が 箒ほうき持つ手を休めつつ

積もる落花に囲まれて 昔語りは吉野朝よしのしょう

2025年4月5日土曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」4

人はだれしもこの幸福な島国で、春、とくに桜の季節を京都や東京で過ごすべきだ。その季節には、思い思いに着飾った人々が、手に手をたずさえ桜花が咲き乱れる上野公園をはじめ、すべての桜の名所に出掛けてゆく。彼らはその際、詩作にふけり、自然の美と景観を賛美する。……世界のどの土地で、桜の季節の日本のように、明るく、幸福そうでしかも満ち足りた様子をした民衆を見出すことができようか?

 これはオーストリアの芸術史家アドルフ・フィッシャーの『100年前の日本文化――オーストリア芸術史家の見た明治中期の日本』(中央公論社 1994年)から引用した一節です。実をいえば日本人はただ飲んでドンチャカやっているだけなのに……() いや、かつては我らが花見もフィッシャーの言うとおり優雅だったのかな?

 

2025年4月4日金曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」3

しかし平安時代前期が終わり、遣唐使が廃止されて国風文化が成熟してくると、梅と桜の人気は逆転、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠むような桜狂さくらきちがいがたくさん出現することになります。

もちろん、桜を賞美する花見は高位貴顕の人々に限られていましたが、その最後を飾るのが豊臣秀吉による吉野山と醍醐の花見だったでしょう。やがて町衆庶民が花見を楽しむようになり、徳川時代も後期となれば「女房の智恵は花見に子をつける」という下世話な江戸川柳の世界へ降りてきます。

旦那が花見と称して、生身の花咲く吉原へ行かないようにするため、女房が子供を一緒に行かせるんです。べらぼうめ‼ 確かに子供がいたら大門はくぐりにくい‼ 近代に入ると、花見は日本の風物詩として広く知られ、西欧人がそれを称賛するようになるのですが、チョットこそばゆくなってくる文章もあります。

 

2025年4月3日木曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」2

桜は植物分類学上バラ科に属するそうですが、ちょっと不思議な感じがします。新渡戸稲造の名言「薔薇ばらに対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている」を思い出すからです。このすぐれた思想家が、マギャクの美しさと見なした薔薇と桜が同じ科に属する花であったとは、お釈迦様でもご存じないのではないでしょうか。

『万葉集』には桜を詠んだ歌が45首も収められているそうですが、梅の119首に比べるとぐっと少ないのです。これは唐文化とともにもたらされた梅に、当時の律令官僚たちが魅了されたためでした。そのような観梅の宴が大伴旅人によって開かれなかったら、「令和」という年号も生まれなかったことになります。

 

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」8

 最後に、山種美術館「桜 さくら SAKURA  2025  美術館でお花見!」展のチラシに刷られたコピーを紹介することにしましょう。そこにある「はらはらと散っていく儚 はかな さ」は、新渡戸稲造にならって言えば薔薇に欠けている美しさです。 暖かな陽光がさし始める春。草花が芽...