「饒舌館長ブログ」ファン(?)の牧啓介さんが、このエントリーにコメントを寄せてくれました。英朋が晩年どうして寡作になったのか不思議だというのです。
確かにカタログの「鰭崎英朋略年譜」をみると、昭和2年(1927)47歳のとき、もっともつながりの深かった『娯楽世界』の最終号に表紙と口絵を描いてから、昭和43年(1968)88歳で亡くなるまでの41年間が空欄になっているんです。牧さんの疑問に対して、饒舌館長はつぎのようにコメントしました。
口絵に創造の場を求め、会場芸術に色目を使わないという英朋の生き方は素晴らしいと思います。これから私見をアップするところです。しかしこの生き方には、当然のことながら「死角」がありました。つまり「大衆」の人気がほとんど唯一のよりどころですから、大衆の美的趣味が変化して人気がなくなれば、すぐに注文が来なくなります。