2020年8月31日月曜日

諸橋晋六『不将不逆』6



ところがあるとき、どういう風の吹きまわしか、「不将不逆」の四文字を墨で書き、読み方と意味を講釈したあとで、僕にくれたことがあったんです。どこかでこれを知り、自分の考えと同じだと思ってうれしくなったのかもしれません。
信じてもらえないかもしれませんが、僕は子どものころ、チョット神経質なところがありました() 親爺はたまたま知ったこの至言を、もうチョットのんびりやれという意味を込めて、書いてくれたのかもしれません。
それ以来、ほとんど唯一の人生訓となってきましたが、最初に静嘉堂文庫美術館の執務室に入り、書架に並んでいた晋六氏の『不将不逆』を見たとき、何か不思議な気持ちにとらわれました。

2020年8月30日日曜日

諸橋晋六『不将不逆』5



小学校でも中学校でもがき大将だった。もちろん通信簿は良くない。五、六歳から四書五経を読み始めた父にとっては不肖の息子に違いない。それでも「勉強しろ」とは一度も言わなかった。
 じつは僕も、この「将らず逆えず」を人生訓にしてきました。というのは、僕が親爺からただ一つ聞いた人生訓がこれだったからです。親爺は町医者をやっていましたが、天性の楽天主義者というか、人生楽しいことが一番だといった風で、「快食 快眠 快通」と書いた紙がいつも部屋に貼ってありました。
ですから、子どもにあぁしろとか、こうしろとか言ったことはありませんでした。ましてや、真面目な顔で人生訓を垂れるなどということは、絶えてありませんでした。

2020年8月29日土曜日

諸橋晋六『不将不逆』4



鏡を考えてみよう。鏡は前に現われたものでも、それが過ぎ去ってしまえば、もはやそのものをたくわえて映すようなことはしないし、まだ来もしないものを、前もって鏡に映そうともしない。自分の前に立ったものだけを、そのまま映す。そのような態度で世の中に応ずるのがいちばん正しい方法である。
<至人の心を用うるは、鏡の如し>
 晋六氏は、お父さんの思い出をつぎのように書き記しています。やはり轍次先生は、その人の持って生まれたよいところを伸ばそうとする、真の教育者だったんだなぁと、深く心を動かされます。

2020年8月28日金曜日

諸橋晋六『不将不逆』3


 「不将不逆」はかの『荘子』にある言葉で、晋六氏はお父さんの轍次先生から教えてもらったにちがいありません。そこで先生の『中国古典名言事典』(講談社学術文庫)をひも解くと、『荘子』のところに、「将[おく]らず逆[むか]えず、応じて而して蔵[おさ]めず」とチャンと出てきて、晋六氏がお父さんを正しく引用していることが分かります。そのあとに続く轍次先生の解説も貴重ですから、これもそのまま掲げておくことにしましょう。
過ぎたことをなにかと悔やんだり、反面まだありもしないことを、いろいろとまえもって思い悩む。それはむだなことだ。ただ心をむなしくして、当面する問題に対処し、それが過ぎてしまえば、心の中はなにもなかったもとの状態にもどっているのがよい。

2020年8月27日木曜日

諸橋晋六『不将不逆』2



過去を悔やまず、将来の取り越し苦労もせず、その時に応じて適切な処置をとり、心にとどめない、今日をきちんと生きるという言葉によって、メソメソせず明るく生きてきた。私にとって尊い漢詩であり、心の鐘なのだ。

もともと、私はこれに挑戦してやろう、なんてあまり考えない。“ちょっと”“ちょっと”――これが僕の主義でね。“不将不逆”これなんだナ。

2020年8月26日水曜日

諸橋晋六『不将不逆』1



 諸橋晋六氏は三菱商事の社長・会長をつとめ、また静嘉堂文庫美術館の2代目館長として活躍されました。すでにアップした『大漢和辞典』を著わした諸橋轍次先生の三男として東京に生まれ、2013年、90歳でお亡くなりになりました。お会いしたことはありませんが、一度ぜひお話を聴きたかったなぁと思わせる日本人の一人です。
『不将不逆』という晋六氏の言葉を集めた小型ブックを読んでから、ずっとそう思ってきました。奥付には「2013年9月発行 三菱商事株式会社」とあるだけですから、お亡くなりになったとき、きっと親しかった方々への配り物にされたのでしょう。内表紙を開くと、本のタイトルにもなっている「不将不逆」という四文字が大きく印刷されていて、つぎのように解説されています。


2020年8月25日火曜日

追悼 山崎正和先生3


もっとも、先生のお仕事で最初に強く惹かれたのは、「夢を見ない人――『黒田清輝日記』から」を読んだときのことでした。そのころ東京国立文化財研究所につとめていた僕は、仕事をサボるためよく黒田記念室へしけこんでいました。そんなこともあって、中央公論社から出版されたばかりの「日本の名画」5<黒田清輝>を開くと、この名文が収められていたのです。
タイトルは「夢を見ない人」とソフィストケートされていますが、先生が『黒田清輝日記』を読んで感じた、清輝はむしろ「めしを喰う人」であったという第一印象から書き出されているのです。「めし」だから言うわけじゃ~ありませんが、「うまいなぁ!!」と感に堪えませんでした()

2020年8月24日月曜日

追悼 山崎正和先生2


もう一人、室町ルネッサンス史観をお持ちだったのが、植物学者の中尾佐助先生でした。お二人の史観をチョット失敬した僕は、辻惟雄さんから求められるまま、講談社版『日本美術全集』15<永徳と障壁画>に、「桃山障壁画論」なるエッセーを寄稿したのでした。
30年ほど前のことですが、桃山時代は日本のルネッサンスだという定説に対し、日本のルネッサンスは室町時代であって、桃山障壁画はバロックだという独断と偏見を書いたのです。
最後にエーリッヒ・フーバラの『バロック・ロココ美術』<西洋美術全史9>から、ルーベンスについての記述を引用し、けっしてこれは狩野永徳筆聚光院障壁画の解説ではない!!というようなオチをつけたのです。先日のジャポニスム私論と同じく、いま読み返してみると冷や汗ものですが、これも山崎先生の示唆がなければ、とてもまとまらなかったでしょう。

2020年8月23日日曜日

追悼 山崎正和先生1


 劇作家にして文明評論家の山崎正和先生が19日、86歳でお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を表わすとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。お会いしたことはありませんが、『世阿弥』に代表される室町ルネッサンス史観からとても大きな示唆を受けてきました。
昨日の『朝日新聞』に載る「評伝」は、編集委員の村山正司さんによって書かれています。旧満州で育ち、14歳で戻った日本文化の世界は、みずからの大陸的な感性とはかけ離れていたそうです。
そのせいでしょう、先生がはじめは「和歌などの伝統的文化にもなじめなかった」とおっしゃるので、村山さんが『世阿弥』は室町時代の話ではありませんかとツッコミを入れると、「室町時代はルネサンスにも似た近代的世界だったのですよ」と微笑んだそうです。

2020年8月22日土曜日

酒井抱一「日課観音図」3


その時の調査カードには、「小品なれども実によい品格の絵なり」などと書いてあります。いつか『國華』に紹介しようと思いつつ、そのままになってきましたが、去年秋、28年ぶりに再会する機会に恵まれたのです。これも正確にいえば、20191021日です()
先の拙論を書いたとき、甲申という干支は甲子などと同じく、何か特別な意味があったのだろうとは考えましたが、それをみごとに解き明かしたのは、福岡市美術館の岩永悦子さんでした。岩永さんは2015年初春、福岡市美術館松永記念室において、「伝・源実朝筆日課観音図をめぐって」という特別展示を企画開催し、「古美術 解説」223号にそれを発表したのです。

2020年8月21日金曜日

酒井抱一「日課観音図」2


 抱一が文政7年5月に日課観音を描いたことは、相見香雨先生の論文「抱一年譜稿」によって、早くから知られてきました。1978年、日本経済新聞社から出版された山根有三先生編集の『琳派絵画全集 抱一派』に、僕は「抱一の伝記」と「抱一の有年記作品」という2編の拙文を寄稿しましたが、もちろんこの抱一日課観音を取り上げることにしました。
しかしその時、実際に見ることができたのは、ある個人コレクションに収まる5月20日の1幅だけでした。その後、1991年夏、國華社にて5月2日の幅を見る機会があり、きわめてすぐれた出来映えに深く心を動かされました。小林忠さんに冷やかされるので、『國華』にはただ平成3年夏と書きましたが、正確にいえば1991年8月20日でした()

2020年8月20日木曜日

酒井抱一「日課観音図」1


 『國華』1497号は「逸格逸品 第八輯」と題する特輯号です。國華編輯委員が今イチオシと思う作品を選んで書いた解説の「テンコ盛り」とでも言ったらいいのでしょうか。それが第8輯にまでなりました。僕が今回選んだ作品は、酒井抱一の「日課観音図」です。
文政7年(1824)5月1日から6月にかけて33日間、抱一は毎日1点の白描観音像を描きました。それは観音さんの上の方に、「文政七年甲申五月日課三十三幅之一」という判子が捺されていることから分かるのです。
つまり33点の白描観音図が出来上がったわけですが、もちろんこれは観音さんが33の姿に変身して衆生を救うという「観音経」によるところでしょう。このように観音さんを日課のようにして描いた連作を「日課観音」と呼んでいます。

2020年8月19日水曜日

安井裕雄『モネ睡蓮の世界』5



よく知られるように、『ゴッホ書翰集』には日本美術のみならず、日本そのものに対する讃嘆の言葉が次から次へと現われるのだが、少なくとも日本人が読めば、異国趣味以外の何物でもないといった感に打たれるだろう。
これらの事実は、通説に再考を促すものでなければならない。ジャポニスムは、異国趣味から本質理解へと質的変化を遂げたわけでは決してない。異国趣味はつねに底流として流れていたのである。
 もう4半世紀以上前の文章で、いま読み返すと顔から火の出るようなことをイケシャーシャーと書いていますが、基本的な考え方はあまり変わっていないように思います。いや、後期高齢者になると、自分の考えを反省して改めるということが、事実上不可能になっているんです( ´艸`) 


2020年8月18日火曜日

安井裕雄『モネ睡蓮の世界』4


モネは団扇のコレクターとして有名であったし、すでに指摘したようにジヴェルニーの屋敷を購入したとき食堂の壁は浮世絵で飾り、睡蓮の池に日本風の太鼓橋まで架けてしまった。
アムステルダムの国立ゴッホ美術館には、ゴッホと弟のテオがパリで蒐集した474枚もの浮世絵が所蔵されているという。異国趣味が強いといわれるティソになると、住んでいたブイヨン城の庭に鳥居をしつらえたとさえ伝えられている。
これらの事実は、彼らが第一の意味でも異国趣味者であったことを、如実に物語っている。もし、ただ日本美術や浮世絵の本質を理解するためであったら、植木鉢覆いや太鼓橋や鳥居や500枚に近い浮世絵が、どうして必要なのだろうか。

2020年8月17日月曜日

安井裕雄『モネ睡蓮の世界』3



僕は「ChapitreⅡ 日本風の太鼓橋 18991900」のページを繰りながら、かつて先の小林忠さんに求められて書いたエッセー「ジャポニスムの起因と原動力」(『秘蔵日本美術大観』3<大英博物館Ⅲ>1993年)を思い出していました。ジャポニスムは単なる異国趣味から日本美術の本質的理解へ昇華したというのが定説です。これに対し、ジャポニスムとは異国趣味にすぎない――しかしその事実に大きな意味があるというのが拙論の趣旨でしたので、次のごとくモネの日本風太鼓橋を引き合いに出したからです。
彼らは第一の意味(『広辞苑』にある①外国の風物をあこがれ好む趣向)でも、やはり異国趣味を持っていた。ホイッスラーはパリやロンドンの美術商をまわって版画のほか、陶磁器や服飾品などをたくさん買い集めたし、マネは日本の陶製植木鉢覆いなどまで持っていた。

2020年8月16日日曜日

安井裕雄『モネ睡蓮の世界』2


もちろんn°60/W1684のように、「現所在不明」の「睡蓮」もチャンと収められています。n°は安井さんがつけた通し番号――これからはYナンバーと呼ばれることになるにちがいない番号、Wは定番ダニエル・ウィルデンスタインのカタログ・レゾネ番号です。ちなみにこれは、6年ほど前ロンドンのサザビーズにおいて55億円で落札され、話題を呼んだ作品です。
安井さんの解説は簡にして要を得ており、コラムやエピソードも大変おもしろいのです。また巻末には「『睡蓮』国内所蔵美術館一覧」があって、コロナ終息後、モネ睡蓮行脚をしようと思っている方にも便利でしょう。カタログ・レゾネといってもコンパクトですから、これをバッグに入れていけば、行脚はさらに楽しく充実したものになること請け合いです。

2020年8月15日土曜日

安井裕雄『モネ睡蓮の世界』1



安井裕雄『図説 モネ<睡蓮>の世界』(創元社 2020年)
 三菱一号館美術館の安井裕雄さんが、すばらしいモネのカタログを出版されました。僕が生まれた年に、座右の書となっている潁原退蔵著『蕪村』を出した名門・創元社からです。腰巻に、「すべての『睡蓮』を集めた永久保存版資料。全308作品、完全収録!」とあるとおり、クロード・モネが描いた「睡蓮」のカタログ・レゾネです。日本人にとって、モネといえば何といっても睡蓮、モネ=睡蓮なんです!!
小林忠さんによると、千葉市美術館で大原美術館名品展が開かれたとき、「積み藁」の前で「やっぱりモネの睡蓮ってステキね~」と感動していた方がいらっしゃったそうです(!?) これこそ我々日本人が求めていたカタログ・レゾネだといってよいでしょう。

2020年8月14日金曜日

服部南郭・夏の詩6


 

 コロナ禍のため、このところまったく飲み会がありません。もう半年もないように思います。もちろん家ではチョビチョビ飲んでいますが、やはり何か寂しく感じられます。せめて南郭の「夜讌[やえん]」という飲み会の詩で、元気を出すことにしましょう。この和歌調戯訳をつけた五言律詩は秋の詩らしく感じられますが、飲み会の詩なんていうと南郭に失礼ですから、演歌・艶歌・怨歌にならって、宴歌と呼んだらどうでしょうか()
 高殿で夜の宴[うたげ]を開きたり 天へ広がる歌と笛の音
  夜空から音楽響いて来るようで 舞う美女月の仙女かと見ゆ
  灯[]は寒光発して豪奢な部屋に映ゆ 美酒盛る玉杯透けて輝く
  立ち上がり見れば夜露はもう白く 暁[あかつき]早く来るを恐れる   

2020年8月13日木曜日

全国高校総合文化祭・静嘉堂4


僕も三無主義を捨ててスマホを持たないと、本人が捨てられちゃうかなと心配になってきました。孫文の三民主義ならぬ饒舌館長の三無主義とは? 3つのものは絶対に持たないという僕の主義です――つまりクルマとスマホと愛人です(!?) 高校生には、教育上よろしくないジョークだったかな()  
インタビュー会のあと、文化庁の根来恭子さん、高等学校文化連盟の野村公郎さんから挨拶があり、謝辞をうれしく拝聴したことでした。さらに全国の高校生からオマージュや感想が寄せられ、終ったのはちょうど7時、じつに充実した1日でした。帰宅してシャワーを浴びたあとのプレミアム・モルツがうまかったこと!!
 今日は『宇宙戦争』で有名なH・G・ウェルズの祥月命日だそうです。その名言を、先日のピタゴラスの名言に続いて、高校生の皆さんに贈ることにしましょう。
  われわれ老輩は傍観し、傍観者以上の何者にもなりえない。……青年は生命である。彼らのなかにこそ、希望がある。
*お元気な方はすべて「さん」づけにし、鬼籍に入った方のみ「先生」とお呼びする「饒舌館長」のルールにしたがったことをお許しください。


2020年8月12日水曜日

全国高校総合文化祭・静嘉堂3



長谷川さんからは、最初に「静嘉堂文庫美術館の歴史とコレクション」について話して欲しいというオファーがきましたが、許された時間は5分――饒舌館長にとっては5秒ですね() そのあと長谷川さんが曜変天目と油滴天目の魅力を分かりやすく解説し、続いてインタビュー会へ移りました。
参加した高校生が、自宅や学校から、PCやスマートフォンで質問をすると、長谷川さんがPCに向って答えるんです。服部さんと宮木さんの名司会ぶりに、長谷川さんも乗りに乗った感じです。ライブ中継用にはユーチューブも使われるというのですから、饒舌館長にとっては驚天動地の教育世界がすでに出現しているんです❣❣❣


2020年8月11日火曜日

全国高校総合文化祭・静嘉堂2



午後3時過ぎからズーム開始、5時ジャストに曜変天目紹介ビデオの上映から始まりました。司会は都立富士高校茶道部の服部有砂さんと宮木朋音さん――若いというのはそれだけで素晴らしいことです!!  60年前には、同じように僕も若かったんです()
ピタゴラスの定理で有名な数学者にして哲学者は、「若さは、何であれ伸びてゆくものに、老いは、何であれ滅びゆくものに似ている」といったそうです。さすがピタゴラスだと感動しますが、チョット落ち着いて考えると、「当たり前田のクラッカー」という感じも……。もっともこのキャッチコピー、服部さんや宮木さんにはまったく通じないでしょうね()

このライブ動画の編集済みバージョンは下記へアクセスの上お楽しみください❣❣❣
https://youtu.be/Ghxub1gpuM0

2020年8月10日月曜日

全国高校総合文化祭・静嘉堂1



全国高等学校総合文化祭高知大会応援企画・同東京大会茶道部門プレイベント(89日)
 全国の高校生が企画し毎年開催してきたプロジェクトに総合文化祭があります。今年は高知大会がコロナ禍のためウェブ開催となりました。そこで、高知県ゆかりの英雄である岩崎弥太郎と小弥太が創立発展させた静嘉堂文庫美術館が、積極的に協力させていただくことになったというわけです。
今日は東京大会茶道部門プレイベントも兼ね、いま開催中の「美の競演――静嘉堂の名宝――」を取材してもらい、オンラインでつながれた全国の高等学校文化連盟茶道専門部に所属する高校生へ発信することになりました。高校生の間でも、やはり関心が高いのは「曜変天目<稲葉天目>」らしく、これに焦点を絞ることにして準備を始めました。もちろん担当は、「美の競演」を企画した学芸員の長谷川さんです。このイベントは下記のURLにアクセスして見ることができます。
https://www.presscentre.net/events/nationaltresure-200809/

服部南郭・夏の詩5



 先日、杜甫と良寛の心にしみる梅雨の詩を紹介しましたが、南郭にも素晴らしい五言絶句「梅雨」があります。これは『江戸詩人選集』に採られています。なお、陶潜とは中国・東晋の詩人・陶淵明のことです。
 黄梅[こうばい]の雨 草屋に もの寂しくも降りそそぐ
雨音 聞けば眠られず 枕を撫でればなお寂し
朝な夕なに南山の 色は微妙に変わるけど
陶潜みたいに門を出て 眺めやること絶えてなし

2020年8月9日日曜日

服部南郭・夏の詩4



 同じく『南郭詩集』から、七言絶句「高楼避暑」です。これは難解にして、独断で訳しましたが、自信がありません。そもそも『南郭詩集』には、『江戸詩人選集』と違って註解なんて付いていませんから、饒舌館長にはチョット敷居が高いんです()
  暑さを避けて高殿へ 登れば沈む夕日影
  城壁スレスレまで落ちて しかも盛んなエネルギー
  やがて緑風吹き始め 雨も降り出す西の山
  涼しさ空に広がって 城の北門 雲浮かぶ

2020年8月8日土曜日

服部南郭・夏の詩3



 次は家蔵する『南郭詩集』(1795年再刻版)から、七言絶句「仲夏楼上の飲」です。「仲夏」は5月のことですが、もちろん陰暦の5月、今でいえば6月でしょう。それにしても、詩の感じがチョット早すぎるように思われますが……。いずれにせよ、南郭も酒仙詩人であったことが分かって、尊敬の念いよいよ高いものがあります( ´艸`)
  差しつ差されつ高殿で 泥のごとくに酔っ払い
  酔いが醒めれば雨も止み 夕日はまさに沈まんと……
  飲んで暑さを避けること あえて必要ないはずだ
  江戸の五月はもうすでに 涼しい風が吹いている

2020年8月7日金曜日

服部南郭・夏の詩2


  
  夏の日 涼風吹き抜ける 我が草屋に臥してると
  ついウトウトと古[いにしえ]の 伏羲[ふくぎ]の世へと誘われる
  「道」を慕って憧れの 崑崙山に登ったり
  自由な華胥[かしょ]氏のユートピア 俗世を捨てて遊んだり
  窓辺に目覚めりゃ枕撫で 夢の余韻を楽しんで
  木陰で行水し終わると 縁台移して涼を取る
  暑い一日暮れなずむ たそがれ時も悪くない
  ぐるり見渡す庭の木々 すでに夕日に染まってる

2020年8月6日木曜日

服部南郭・夏の詩1



 今年の「饒舌館長」は、日本初期文人画四大家の一人、服部南郭の春の詩をもって始まりました。その後、『國華』のために「蕪村三大横物試論」を書きながら、改めて南郭の詩を読んでみました。そして、いい詩人だなぁという気持ちが一層強くなるのを覚えました。
そこで今回は、南郭の夏の詩をまたまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。先ずは、『江戸詩人選集』3<祇園南海・服部南郭>から、七言律詩「夏日の閑居 八首」のうちの1首です。8首連作のようですが、全部が載っているはずの『南郭先生文集』は持っていないので、この1首だけを……。真似をしたくなるような一首ですが、現代では、いや、饒舌館長ではチョット無理みたいですね()

2020年8月5日水曜日

2020年8月4日火曜日

2020年8月3日月曜日

2020年8月2日日曜日

2020年8月1日土曜日

山本勉さんの愛猫・ルリちゃんへ9



最後に、また今村与志雄さんの『猫談義』から、元好問の七言絶句「仙猫」を、マイ戯訳でルリちゃんに捧げることにしましょう。元好問は中国・金の詩人です。松枝茂夫編『中国名詩選』(岩波文庫)の解説には、
内郷・南陽などの県令を歴任し、尚書省左司都事に至った。やがて金の滅亡にあい、乱離の中を放浪すること20年に近く、ついに元に仕えず、もっぱら金代の史料編纂に従事した。金・元の際の最大の詩人で、悲壮なその詩と生涯は、しばしば杜甫に比せられる。
とありますが、「仙猫」みたいな軽妙きわまる詩も、じつにいいじゃ~ありませんか。
 仙猫の声 天壇の 祠[ほこら]の中から聞こえくる
  そこで息子に言ったのさ 「どうしてなのか聞いてごらん」
  「燕仙人[えんせんにん]の仙薬を 貴殿[あなた]も一緒になめたのに
  なぜニワトリやイヌたちと 行かなかったの 仙界へ?」