もう一人、室町ルネッサンス史観をお持ちだったのが、植物学者の中尾佐助先生でした。お二人の史観をチョット失敬した僕は、辻惟雄さんから求められるまま、講談社版『日本美術全集』15<永徳と障壁画>に、「桃山障壁画論」なるエッセーを寄稿したのでした。
30年ほど前のことですが、桃山時代は日本のルネッサンスだという定説に対し、日本のルネッサンスは室町時代であって、桃山障壁画はバロックだという独断と偏見を書いたのです。
最後にエーリッヒ・フーバラの『バロック・ロココ美術』<西洋美術全史9>から、ルーベンスについての記述を引用し、けっしてこれは狩野永徳筆聚光院障壁画の解説ではない!!というようなオチをつけたのです。先日のジャポニスム私論と同じく、いま読み返してみると冷や汗ものですが、これも山崎先生の示唆がなければ、とてもまとまらなかったでしょう。
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