2024年7月5日金曜日

追悼 舟越桂さん2

 この追悼記事には、舟越さんのチョッと恥ずかしそうに笑うポートレートと、2016年春、三重県立美術館で開催された「舟越桂 私の中のスフィンクス」展の写真が添えられています。じつは僕もこの個展をみているんです。深く動かされた僕は、早速そのころやっていた「K11111のブログ」にオマージュを捧げました。それを再録して、追悼の辞に代えさせていただきたいと思います。

今もっとも輝いている具象彫刻家です。1980年代から最新作までの彫刻32点と、ドローイングおよび版画からなる大規模な個展です。神奈川県立近代美術館――先日さよならパーティが行なわれた通称カマキンで、1993年に開かれた個展を見て以来、ずっと憧れ続けてきた作家です。その舟越による新しい挑戦が、この「私の中のスフィンクス」です。求龍堂から出された「公式図録兼書籍」に、舟越は次のように書いています。

 

2024年7月4日木曜日

追悼 舟越桂さん1

 

 329日、大好きな現代彫刻家・舟越桂さんが亡くなりました。享年72でした。早すぎる逝去を心から惜しみ、追悼の辞を捧げたいと思います。敬愛する美術評論家・酒井忠康さんが、『朝日新聞』に「ストーリー語れる 彫刻の詩人」と題して追悼の辞を寄稿したのは、亡くなってから半月ほどあとのことでした。1980年ごろ、舟越さんが彫った「妻の肖像」をみて詩を感じたという酒井さんは、辞をつぎのように締めくくっています。

彫刻でストーリーを語れる数少ない一人だった。時代を強引に引っ張る感じではなったけれど、現代美術のなかのオンリーワンの存在。特異な彫刻の詩人が、ひとり静かに消え去った。寂しい。

2024年7月3日水曜日

追悼 篠山紀信さん4

 

「篠山は、スターたちの虚像を暴くといったことには関心をおかず、あくまでスターがスターとして最も輝く瞬間を捉えることを目指しています」というキャプションは疑問です。虚像を暴くことはともかく、「実像を見せる」ことをあえてやるからです。

今も熱狂的ファンである山口百恵――僕の百恵コレクションのなかに、LP「ひと夏の経験」があります。そのジャケットはもちろん篠山、ビキニをつけた百恵の上半身ですが、右腕の付け根にものすごいBCGの痕が写っています。あるいは「横須賀ストーリー」、おでこや頬のニキビがクッキリと浮き上がっています。

カメラ位置やライトをちょっと変えるだけで、いくらでもきれいに撮れたことでしょう。篠山はブロマイド写真家を拒否しようとしているのです。さて、マイコレクションの目玉はファーストアルバム「としごろ」――これは相当高くなっているだろうとヤフオクにアクセスしてみたら、終了間際なのに最低価格300円/入札0。ガックリきたことでした。


2024年7月2日火曜日

追悼 篠山紀信さん3

大嶋さんによると、2012年から全国で開催した「篠山紀信 写真力」展は100万人を動員したそうです。じつは僕もその100万人のなかの一人でした。2013年夏、出来たばかりの新秋田県立美術館で開かれた「篠山紀信 写真力」展を見ているんです。もし僕が見なかったら、動員数は999,999人になるところでした( ´艸`)

もちろん現代日本を代表する写真家であることはよく知っていましたが、お仕事の集大成が、「有名に虚名なし」という格言の正しさを改めて教えてくれたのでした。そのころ僕は、秋田県立近代美術館のディレクターをつとめ、ホームページに「おしゃべり館長」というブログを書いていましたので、さっそく印象記をエントリーしました。それをここに再録し、追悼の辞に代えたいと思います。

 

2024年7月1日月曜日

追悼 篠山紀信さん2


 先日も大嶋さんは、土曜日be版「サザエさんをさがして」の「投票率」と題する回を担当、おもしろい分析をされていました。しかし「精算や細かい事務が苦手。会議も嫌い……万事ダメダメの記者だが選挙だけは行く。歯を磨かないのと同じで、なんだか気持ちが悪いのだ。いや、それなら、精算は遅くても気持ち悪くないのか? と経理に突っ込まれそうだが……」とのこと、一度ぜひお会いしてみたいと思わせるエディターです。

その大嶋さんがつけた見出しは、「時の人『激写』 話題の中心に」――あるときは被写体以上に「時代の寵児」となったキシンさんを的確に表わした11文字でした。大嶋さんに向って、「面白い企画があったらタダでやるよ」といったキシンさんの言葉が引用されていますが、頼まれた仕事を何となくこなしてきた僕とは、やはり類を異にするクリエーターだったんです!!

 ヤジ「オマエと篠山紀信とを比べたりするな‼」