2025年4月6日日曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」5

 

 桜と相性がよい文学は和歌でしょうが、漢詩だって負けてはいません。先に紹介した渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ』に江戸末期に鳴った漢詩人・藤井竹外の七言絶句「芳野」が載っています。またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。

  古き陵みささぎ――松柏まつかしわ つむじ風受け吼えている

春の爛漫 山寺に 尋ねりゃ桜は散ったあと

  雪の眉毛の老僧が 箒ほうき持つ手を休めつつ

積もる落花に囲まれて 昔語りは吉野朝よしのしょう

2025年4月5日土曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」4

人はだれしもこの幸福な島国で、春、とくに桜の季節を京都や東京で過ごすべきだ。その季節には、思い思いに着飾った人々が、手に手をたずさえ桜花が咲き乱れる上野公園をはじめ、すべての桜の名所に出掛けてゆく。彼らはその際、詩作にふけり、自然の美と景観を賛美する。……世界のどの土地で、桜の季節の日本のように、明るく、幸福そうでしかも満ち足りた様子をした民衆を見出すことができようか?

 これはオーストリアの芸術史家アドルフ・フィッシャーの『100年前の日本文化――オーストリア芸術史家の見た明治中期の日本』(中央公論社 1994年)から引用した一節です。実をいえば日本人はただ飲んでドンチャカやっているだけなのに……() いや、かつては我らが花見もフィッシャーの言うとおり優雅だったのかな?

 

2025年4月4日金曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」3

しかし平安時代前期が終わり、遣唐使が廃止されて国風文化が成熟してくると、梅と桜の人気は逆転、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠むような桜狂さくらきちがいがたくさん出現することになります。

もちろん、桜を賞美する花見は高位貴顕の人々に限られていましたが、その最後を飾るのが豊臣秀吉による吉野山と醍醐の花見だったでしょう。やがて町衆庶民が花見を楽しむようになり、徳川時代も後期となれば「女房の智恵は花見に子をつける」という下世話な江戸川柳の世界へ降りてきます。

旦那が花見と称して、生身の花咲く吉原へ行かないようにするため、女房が子供を一緒に行かせるんです。べらぼうめ‼ 確かに子供がいたら大門はくぐりにくい‼ 近代に入ると、花見は日本の風物詩として広く知られ、西欧人がそれを称賛するようになるのですが、チョットこそばゆくなってくる文章もあります。

 

2025年4月3日木曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」2

桜は植物分類学上バラ科に属するそうですが、ちょっと不思議な感じがします。新渡戸稲造の名言「薔薇ばらに対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている」を思い出すからです。このすぐれた思想家が、マギャクの美しさと見なした薔薇と桜が同じ科に属する花であったとは、お釈迦様でもご存じないのではないでしょうか。

『万葉集』には桜を詠んだ歌が45首も収められているそうですが、梅の119首に比べるとぐっと少ないのです。これは唐文化とともにもたらされた梅に、当時の律令官僚たちが魅了されたためでした。そのような観梅の宴が大伴旅人によって開かれなかったら、「令和」という年号も生まれなかったことになります。

 

2025年4月2日水曜日

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」1

 

山種美術館「桜 さくら SAKURA 2025 美術館でお花見!」<511日まで>

春がやってきました。長い冬が終って、待ちに待った春ですーーと思ったら、また冬に逆戻りしたようですが……。春といえば、何はなくとも桜です。春になったから桜が咲くのではありません。桜が咲くから春になるんです(!?) 

サクラの語源については諸説あるそうですが、日本神話にでる木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめの美しさが筆舌に尽しがたく、もっとも美しい花のようだったので、その花をサクヤと呼び、やがてサクラになったという説にもっとも魅力を感じます。

単に「花」といえば桜を指すようになり、木の花、花王、夢見草、かざし草、つまこい草、いろみ草、はるつげ草、しののめ草などたくさんの異名が生まれるようになったことは、不思議でも何でもありません。さらに桜は日本の象徴、日本人の精神そのものと見なされるようになりました。「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜ばな」という本居宣長の一首が、それを物語っています。


2025年4月1日火曜日

『アートリップ入門』5

ブッチャケ、最初は僕もそんな効果なんてホンマカイナと思ったのですが、話を聞いているうちに、これからの日本にとり重要かつ必須のプロジェクトだと確信するようになりました。アートリップの進行役はアートコンダクターと呼ばれますが、その養成講座で何回か話をさせてもらったんです。今となっては懐かしい思い出です。

このたび林容子さんは、24年間つとめた尚美学園大学を定年前に辞め、アートリップに全力投球することになりました。アートリップを運営するために、早く一般社団法人アーツ・アライブを立ち上げ、その代表理事として孤軍奮闘、獅子奮迅、猪突猛進でやってこられましたが、これからはさらに忙しくなることでしょう。月並みながら「頑張ってね!!」――しかし「林さんのことだから、頑張り過ぎないようにね!!

林容子さん、アートリップ、アーツ・アライブの更なる発展を祝し、今晩独酌の杯を挙げたいと思います( ´艸`)