2021年6月30日水曜日

三菱一号館美術館「三菱の至宝展」1

三菱一号館美術館「三菱の至宝展」<912日まで>

 いよいよオープンです! 「三菱の至宝展」です!! 三菱一号館美術館へ!!! 

ポスター・チラシに「三菱創業150周年記念」と謳ってあるとおり、土佐の地下浪人であった岩崎彌太郎が、三菱の前身である九十九商会を立ち上げてから、ちょうど150年がたちました。それを記念する特別展です。

キャッチコピーは「国宝、集結。」――三菱ゆかりの静嘉堂と東洋文庫が所蔵する国宝12点がすべてうち揃い、皆様のご来駕をお待ち申し上げております。もちろんかの「曜変天目」も、俵屋宗達筆「源氏物語 関屋澪標図屏風」も……。

じつは去年開くつもりで早くから準備を始めましたが、コロナ禍のため、1年の延期を余儀なくされました。しかしその間に、内容と構成をさらにバージョンアップすることができました。これこそ「禍転じて福となす」――いや、「コロナ禍転じて福となす」かな()

 

2021年6月29日火曜日

徐寅・夏の詩2

 

中国の政治家や文人に早く隠遁生活を選んだ人はとても多く、もっとも有名なのは東晋の田園詩人・陶淵明でしょう。陶淵明も隠棲して奥さんと一緒に住みましたが、お妾さんもいたことを考えると、とくに徐寅が「妻の月氏と偕[とも]に隠遁した」と書かれるのは、夫婦相愛にしてラブラブだったことを示しているのではないでしょうか。あるいはお妾さんなどいなかったのかな()

「いい夫婦いまじゃどうでもいい夫婦」みたいな僕からみれば、うらやましい限りです(!?) それにちなんで、どうでもいいけど、最後の「著に探龍釣磯等集がある」は、「著に探龍釣磯集等がある」の誤植かな?

このあいだ『國華』1500号「日本・東洋美術の伝統」特輯号に、尾形光琳筆「孔雀立葵図屏風」(アーティゾン美術館蔵)を紹介したとき、立葵の美しさをたたえた徐寅の五言律詩「蜀葵」を取り上げました。『國華』では真面目に読み下しにしましたが、この「饒舌館長」では戯訳の方でした( ´艸`) 僕は静嘉堂文庫で所蔵する康熙版『全唐詩』でこれを確認したのですが、ついでに徐寅のほかの詩も、チョット拾い読みしてみました。

2021年6月28日月曜日

徐寅・夏の詩1

徐寅は中国のちょっとマイナーな詩人です。愛用する近藤春雄編『中国学芸大事典』にも登場しないんですから。もちろん『諸橋大漢和辞典』には出ていて、次のごとき簡単な説明が加えられています。

五代閩の甫田の人。一に徐夤に作る。字は昭夢。唐の乾寧の進士。王審知に辟されたが礼遇されず、衣を払って去り、妻の月氏と偕に隠遁した。著に探龍釣磯等集がある。

 「五代閩の甫田の人」とありますが、唐の乾寧皇帝のとき進士に合格したわけですから、唐末五代の詩人というのも悪くありません。閩というのは今の福建省であり、そこに誕生した国です。王審知は、五代の後梁からここに派遣され、十国の一つとなる閩を建国した人だそうです。徐寅はこの王審知に取り立てられたものの、やがて冷遇されるようになったため、職を辞して隠棲したわけですが、<奥さんと一緒に>というのが、じつに素晴らしいじゃ~ありませんか。


2021年6月27日日曜日

青梅の季節4

 


盛唐・杜甫「梅雨」 *これは和歌のように読んでください。

  僕の住む成都・犀浦[さいほ]の道の辺に 四月になれば梅の実熟す

鬱陶[うっとう]しくそぼ降る雨に満々と 長江の水 流れゆきたり

  粗末なるカヤ葺き屋根は漏りやすく 雲・霧 垂れ込め晴れ間も見えぬ

  水中の蛟龍[みずち]喜び水面は 岸辺に沿って渦巻いており

                

2021年6月26日土曜日

青梅の季節3

 

南宋・趙師秀「客と約す」

  梅の実 黄色になる季節 みんなの家も梅雨[つゆ]に入る

  池の堤にゃ草茂り 蛙の声があちこちで……

  約束してた友だちは 夜中を過ぎてもまだ来ない

  一人パチリと碁石 打ちゃ 刹那に灯心 燃え落ちる

2021年6月25日金曜日

青梅の季節2

 

  渡辺英喜さんの『 漢詩歳時記』(新潮選書 1992年)は愛読書の一つですが、その「夏」の章には、梅の実が熟す季節をたたえた詩が3首も採られています。中国の文人も「花より団子」だったのかな( ´艸`) またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。

南宋・曽幾「三衢[さんく]道中」

  梅の実 黄色に色づいて 毎日 空は晴れ渡る

  流れを舟でさかのぼり 帰りは歩いて山道を……

  緑の木陰は涼しくて 同じだ‼ 舟で来たときと

  ウグイス四・五回ホーホケキョ 聞こえたことだけ違ってる

2021年6月24日木曜日

青梅の季節1


  先日、静嘉堂文庫美術館の通用口のところに、バケツ一杯の青梅が置いてありました。青梅というより、チョット熟した感じで、陰翳に富む(!?)靴脱ぎ場で微光を放っていました。美術館の南斜面は立派な梅林になっていて、シーズンの2月から3月にかけては呼び物の一つになるのですが、こんなみごとな実がなるとは、これまで知りませんでした。

梅は花も素晴らしいけれど、ヤッパリ実ですよね。いま僕は食後酒に少しだけ梅酒をやっています。義理のアネキが、2008年に漬け込んだことをスッカリ忘れていて、断捨離をやろうと思ったら出てきたそうです。梅酒も13年物となると、さすがに旨い!! ときどき和食レストランで、食前酒に梅酒を出すところがありますが、僕的にいえば、食後酒の方がずっといいように思います。

ヤジ「オマエはヤッパリ梅も花より団子というわけか!! いや、団子ならまだいいけど、結局オチは酒に行っちゃっているじゃないか!!

 

2021年6月23日水曜日

第10回中村賞5

 


この授賞式と講演が行なわれた613日(日)は、世田谷岡本最後となる静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」の最終日とモロぶつかってしまいました。しばらくコロナ禍休館を余儀なくされたため、展覧会の会期を1週間延長したからです。いかんともし難く、中抜けをやることにしました。普通に出勤したあと国際文化会館へ向かい、最初に講演をやらせてもらってから、「選考経過」を発表して退席することを許してもらったのです。

最後にお二人へお祝いの言葉を献じたあと、失礼を詫びながら静嘉堂文庫美術館へ戻り、最後の観覧者をお見送りしました。続いてオールスタッフの打ち上げ会に参加するという、きわめて充実した1日とは相成りました。時節柄、ノンアルコールの打ち上げ会となりましたが、それだけに、帰宅しての一杯がことのほか胃の腑にしみたことでした()

2021年6月22日火曜日

第10回中村賞4

 

かつて僕は「自覚的健[したた]かさ」を代表的作品から感じ取ったことがあるのですが、その根底に近代的自我があったことに気づき、これこそ青邨画伯だと考えるようになったのです。あの穏やかな青邨画伯と近代的自我が、結びつくはずなどないと思われるかもしれませんが、日本画家には珍しいあの傑作自画像「白頭」にそれが象徴されています。だから僕はいつも「自画像とは自我像にほかならない!!」と言っているんです(!?) 

さらに「唐獅子図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)を加え、これの参考作品として「小下絵」や「獅子図旧衝立」(ともに静嘉堂文庫美術館蔵)も取り上げて、スライドを映しながら私見を開陳したのでした。

ヤジ「私見というより、いつもの偏見と独断、妄想と暴走だろう!!

2021年6月21日月曜日

第10回中村賞3

 


この第10回中村賞を記念し、授賞式で青邨画伯についての講演をと中村ご夫妻から頼まれました。近代絵画の専門家でもなく、青邨画伯について詳しい方々を前にしゃべるのは恥ずかしく、ご辞退申し上げたのですが、たってのご依頼でしたので、お受けすることにした次第です。とはいえ、青邨画伯について私見を述べたいという気持ちも、饒舌館長にないではなかったかな() 

いつものように、PPTとキーワード・マイベストテン・参考資料からなるA4・4枚の配布資料を用意しました。青邨画伯については、今日出海先生の「平凡な非凡人」というすぐれたエッセーがあります。それを認めた上でなお、青邨画伯には健康な近代的自我がしっかりと育っていたというのが私見ですので、タイトルも「前田青邨画伯――平凡な非凡人と近代的自我――」と銘打ちました。

2021年6月20日日曜日

第10回中村賞2

 

秋山先生ご夫妻からお声をかけていただき、僕も「中村賞」の選考をお手伝いしてきました。本来は財団の運営にももっと参加しなければならない立場なのですが、こちらは中村さんご夫妻に任せっぱなしで、お恥ずかしいかぎりです。

かつて王培さんと並木秀俊さんが受賞した「第6回中村賞」をこのブログで紹介したことがありますが、それから4年、今年第10回を迎えることになりました。初めから10回で中〆とすることになっていましたので、一応これが有終の美を飾る回となります。今回は平林貴宏さんと鹿間麻衣さんが受賞されました。お二人には心からお祝辞を捧げるとともに、更なる研鑽を祈念したいと存じます。

2021年6月19日土曜日

第10回中村賞1

 

僕は近世絵画史を山根有三先生に学びましたが、古代絵画史は秋山光和先生に教えてもらいました。秋山先生は前田青邨画伯のお嬢さんである日出子さんと結ばれました。2010年、日出子さんは中村眞彦・まり子さんご夫妻とともに、財団法人・前田青邨顕彰中村奨学会を設立されました。中村まり子さんは、秋山先生ご夫妻のお嬢さん、つまり青邨画伯のお孫さんにあたります。

前田青邨顕彰中村奨学会の目的は、日本美術の発展に寄与することですが、中心となる事業に、すぐれた日本画家の育成を目指す「中村賞」があります。選考対象者は日本美術院に所属し、同人[どうにん]、招待、初入選を除いた前途有望な作家とし、春と秋の年2回開催される院展に入選展示される作品を審査対象としています。

2021年6月18日金曜日

第1回JAWS9

 

 この東京大学・カリフォルニア大学バークレー校主催・鹿島美術財団後援「日本美術史に関する日米大学院生の交流セミナー」の英語略称が<JAWS>となったブッチャケ話を、最初にアップしましたと思います。あの傑作パニック映画「JAWS」に無理矢理合わせて、英語の会議名を「ジャパニーズ&アメリカン・アートヒストリアン・ワークショップス」にしたというオチでした。

しかし、今日もアップしたこの写真を見てください!! 鹿島美術財団主催のホテルフジタ・お別れパーティで、発案者の若き辻惟雄さんが挨拶をしているシーンです。

後ろのパネルを見ると、英語の会議名が「U.S.-JAPAN WORKSHOP ON JAPANESE ART HISTORY FOR JUNIOR SCHOLORS」となっているじゃ~ありませんか(!?) しかしこれって<JAWS>とまったく無関係ですよね。 これから英語の略称を作れば、<UJAH>となって、ヤッパリ最初の「ウジャ~」に戻っちゃいます()

2021年6月17日木曜日

第1回JAWS8

 

八王子セミナー・ハウスにおけるマシューさんの発表は、「江戸時代における禅画復興者」というタイトルで、それまで日本の美術史研究者がほとんどスルーしていた刺激的な内容でした。

もっとも、スティーブ・アディスさんは早くから日本禅画の研究を始めていましたし、1979年には辻惟雄さんが編集した『江戸の宗教美術』<日本美術全集23>(学習研究社)が出ていたのですが、まだ僕たちはそれらに積極的反応を示していなかったように思います。

実をいうと、いまやマシューさんとはフェイスブック・フレンドで、ディスプレー上ではしばしば会っているのですが、フェイスブックならぬフェイス・ツー・フェイスではもう35年近く会っていないことになります。

「マシューさん、コロナが終息したら、ぜひ静嘉堂文庫美術館でお会いしましょう! 来年には丸の内に新ギャラリーがオープンしますから、そこでお会いできたら最高ですね!!

2021年6月16日水曜日

第1回JAWS7



その3は、赤穂の鹿島建設の研修所での宿泊と、永富家(文化財)の見学である。瀬戸内海を見下ろす研修所の美しい環境と、鹿島美術財団の特別の計らいによる豪華な夕食が、一行の疲れを癒し、夜には、この会議で参加者が得たものについての活発な話し合いが行なわれた。翌日の永富家の見学では、周等に準備された素晴らしい接待を受け、一同に忘れがたい感銘を与えた。そのあと姫路城などを見学、夕方京都で鹿島美術財団の主催のお別れパーティが催され、会は大いに盛り上がった。

 鹿島建設関西研修センターにおける豪華な夕食――それは実に楽しい一夜のうたげ、盛大な飲み会で、僕も任務から解放され大いに飲みそして酔いました。もっとも、そのころはまだ「飲み会」という日本語がなかったようにも思いますが() 鹿島美術財団主催のホテルフジタにおける歓送会も忘れることができません。かの源豊宗先生がお祝いに駆けつけてくださったのですから……。

 なお、この会議がその後さらに発展し現在に至っていることについては、いつか改めてアップすることにしましょう。 

2021年6月15日火曜日

第1回JAWS6

 

その2は八王子セミナー・ハウスにおける3日間の研究討論である。学生の自主的な運営に任せ、聴講したのは河野、グレイビル両教官のみであったが、幅広い分野にわたる意欲的な発表と熱心な討論が深夜まで繰り広げられ、双方の方法論の違いなども分かって、非常に有意義だったとのことである。またセミナー・ハウス側のはからいで茶会に参加することも出来た。

<注>ここに登場するグレイビル教官とは、この会議のアメリカ側代表で大変お世話になったカリフォルニア大学バークレー校助教授マリベス・グレイビルさんのことです。ちなみに河野とは現饒舌館長のことです()

2021年6月14日月曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」6

 


「旅立ちと酒」といえば、ほとんど欠かさず見ている「酒場放浪記」のナビゲーター俳人・吉田類さんの素晴らしいエッセー集『酒は人の上に人を造らず』(中公新書)に、次のような一節があるのを思い出しました。

立ち飲みは、古くは“立ち酒”と呼ばれていた。“出立”あるいは“別れ”に際して酌み交わす酒の儀式だった。一種の“旅酒”とも言えよう。いつの間にか自らの習慣となった“旅酒”と俳句。とりわけ、絵画か映像をイメージさせる蕪村の句に共感する。「狐火や髑髏に雨のたまる夜に」。ともすればネガティブな現実を蕪村が詠めば、シュールで美しい心象風景となる。

 立ち飲み=別れとなると、角打ち[かくうち]は自分ひとりのときだけにして、親しい友達とはやはり小あがりでジックリ腰を落ち着けてやるのがいいみたいですね。とはいえ、かの天羽さんに連れて行ってもらった築地の立ち飲みやは旨かったなぁ()

2021年6月13日日曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」5

旅立ちと酒は切っても切れない関係に結ばれていました。酒を飲んで盛り上がるだけじゃ~なく、必ず再会しようという約束固めの気持ちが込められていました。再会がかないそうにないとき、酒の代わりに水を互いに注ぎあって飲むのが本来の「水盃」[みずさかずき]です。酒を飲まずに別れるなんて、愚の骨頂というより、不吉なことだったのでしょう。

 それは晩唐の詩人・于武陵の「勧酒」を持ち出すまでもありません。かの井伏鱒二の名訳で有名な五言絶句です。日本美術史と関係の深い漢詩から探せば、何といっても盛唐・王維の「元二の安西に使いするを送る」でしょう。池大雅がふるさとの越後へ帰る五十嵐俊明へ贈った「渭城柳色図」のイメージ・ソースとなった七言絶句です。これらと肩を並べる和歌もあるはずですが、チョット思いつきませんね。 

2021年6月12日土曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」4

 

先の館長講演は「出会い旅立ち別れの情――日中絵画の流れから――」と題しましたが、そのとき取り上げた優品に、わが静嘉堂文庫美術館が所蔵する中山高陽筆「渓山清興図」があります。自作自賛の七言絶句がとても素晴らしい――とくに酒仙館長にとっては() またまた戯訳で紹介することにしましょう。

 破れた窓にボロ机 もの寂しいなぁ!!我が書斎

 眠りから覚めチョットだけ 描いてみたのさ山水を

 乱れた筆ゆえ他の人が 一顧せずとも構わない

 しかし一杯やってから 見れば興趣もぐっと増す

2021年6月11日金曜日

静嘉堂文庫美術館「旅立ちの美術」3

 


 静嘉堂文庫美術館の世田谷岡本最後を飾る展覧会「旅立ちの美術 Departure in Arts」が410日にオープンしたことは、すでにアップしました。初日からものすごい人気で、館長講演――今回は最後ですので真面目に口演じゃ~なく講演と銘打ちました――も満席の盛況でしたが、その後緊急事態宣言の発出に伴い閉館のやむなきに至りました。

しかし美術館はとくにお許しが出たようですので、再開するとともに、13日(日)まで1週間の期間延長とすることにいたしました。いよいよ今日を入れて残り3日、そして明後日は岡本最終最後の1日、万全のコロナ対策を採りつつ、皆さまのご来駕をお待ち申し上げております。

NHKアートシーンや『朝日新聞』『読売新聞』で大きく取り上げられたお陰もあるのでしょうか、再開後、人気はさらに高まっており、チョットお待ちいただくこともあると思われますが、その節はどうぞお許しくださいませ。

2021年6月10日木曜日

第1回JAWS5

 

この種の試みは全く初めてのことなので、蓋を開けるまでは多少の不安があった。しかし関係各方面の理解ある全面的な協力によって、予想を越える成果を収めることが出来たことを喜びたい。

会議は大別して次の3つのプログラムからなっていた。その1は美術品見学である。これには、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、東京藝術大学史料館、大和文華館、出光美術館、万野美術館、広田氏、瀬津氏と、公私にわたる多数のコレクションの特観を許された。「雪舟筆秋冬山水図」、「同天橋立図」、「抱一筆夏秋草図屏風」、「西大寺十二天」、「青蓮院青不動」等々、第一級の国宝・重文作品をじかに見る機会に恵まれたことは、参加学生にとって僥倖だった。

2021年6月9日水曜日

第1回JAWS4

 

最近アメリカにおいて、日本伝統文化に対する関心は高まってきたが、日本美術史については、アメリカの大学においても研究者層が薄く、キューレーターの数も不充分と言われている。

全米の大学において、日本美術史を専攻している大学院生を招致して、日本の美術史専攻の大学院生と日本美術史に関するセミナーを開催し、討議によって相互の理解を深め、親睦をはかり、日米学生の日本美術に関する研究を一層活発にし、相互交流を深めたい。

2021年6月8日火曜日

第1回JAWS3

 

僕も辻さんを手伝って企画運営に当たりましたが、何しろ先立つものがありません。思い余って鹿島美術財団に一部の助成をお願いすると、理事長の鹿島昭一さんと専務理事の山本保義さんが「それはじつに素晴らしいプロジェクトですね」と、ポンとオール・ギャンティにしてくださったのです!! 天にも昇る気持ちとは、こういうことをいうのでしょう。お二人が天上からこの「饒舌館長」を見てくださっていれば、こんなうれしいことはないのですが……。

会議の目的と内容については、『鹿島美術研究』年報第4号に掲載された報告書から、辻さんがまとめた「招致目的」と「経過および成果」の一部を引用することにしましょう。

2021年6月7日月曜日

第1回JAWS2


この会議の略称は「日米大学院会議」――英語の略称はJAWSといいます。はじめ英語の正式会議名「ワークショップス・オブ・ジャパニーズ&アメリカン・アートヒストリアン」の頭文字を採って、英語の略称はWJAHとすることになりました。

しかし「ウジャー」というのは、いかにも語呂が悪いというので、英語の会議名を「ジャパニース&アメリカン・アートヒストリアン・ワークショップス」に変更し、その頭文字を採って「JAWS」にしたのです。いや、ブッチャケをいえば、話は逆なんです。そのころヒットしていたスティーヴン・スピルバーグ監督の傑作パニック映画「JAWS」が先にイメージされ、それに無理矢理合わせて英語の会議名を決めたんです( ´艸`)

 この会議は、先日キックの鬼・沢村忠さんと一緒に紹介した(!?)辻惟雄さんの発案でした。辻さんが一流のアートヒストリアンであることは、改めていうまでもありませんが、一流のアートプロデューサーであることも、このJAWSによって容易に証明できると思います。 

2021年6月6日日曜日

第1回JAWS1

東京大学・カリフォルニア大学バークレー校主催・鹿島美術財団後援

 日本美術史に関する日米大学院生の交流セミナー(第1回日米大学院会議<JAWS>)

先日はミネアポリス美術館副館長マシュー・ウェルチさんとの馴れ初め(!?)と、なつかしい思い出、そして彼への謝辞をエントリーしました。それからの続きで、今回は「日本美術史に関する日米大学院生の交流セミナー」をアップすることにしましょう。

 カンサス大学にゲストとして呼ばれた翌年の1987年、またまたマシューさんと会うチャンスが生まれました。その年の3月、「日本美術史に関する日米大学院生の交流セミナー」が東大美術史研究室・カリフォルニアバークレー校の主催、鹿島美術財団の後援によって開かれ、マシューさんも参加してくれたからです。 

2021年6月5日土曜日

『國華』北斎肉筆特輯号2

小林さんから僕がいただいたお題は、アメリカ・シアトル美術館が所蔵する「五美人図」でした。すでにこれは昭和23年(1948)の『國華』671号に紹介されていますが、一載不載の原則を破ってでも、北斎肉筆特輯号には是非ほしい作品だったのです。僕は北斎パースペクティブとでも呼ぶべき現実的なものの見方が、この作品の根幹をなしていることを指摘したのですが、またまたチョンボーをやらかしてしまいました。

というのは、楢崎宗重先生が著わした『北斎論』(アトリヱ社)の口絵にチャンと載っていることを失念していたのです。何といっても北斎についての古典的名著ですから、絶対指摘しておかなければならないことでした。しかも、この本が出版されたのは昭和19年ーー僕が生まれた翌年だったのです!!

ヤジ「オマエが生まれた年なんて、この古典的名著とまったく無関係じゃ~ないか!!


 

2021年6月4日金曜日

『國華』北斎肉筆特輯号1

 

『國華』1507号「特輯 葛飾北斎の肉筆画」

 去年は天才・葛飾北斎(17601849)の生誕260年という節目の年でした。これを記念して多くの北斎特別展が開かれ、またシンポジウムなどのイベントも開催されました。僕にオファーがかかったものとしては、NHKラジオ第2「芸術の楽しみ」<葛飾北斎再発見>がありました。ほとんどアドリブで13回しゃべるので、饒舌館長といえどもチョット大変でしたが、これについてはすでにアップしたことがあったように思います。

この北斎生誕260年にちなんだというわけでもありませんが、『國華』では「葛飾北斎の肉筆画」を特輯に組むことにいたしました。コーディネーターの小林忠さんは、巻頭言に「すでに知られた名品とともに近年の新出画も加えて、日本国内の北斎研究家のみならず英米両国の優れた美術史家にも加わっていただき、肉筆画方面での評価も加えた新たな北斎観を多様に披瀝していただくことができた」と書いています。

 

2021年6月3日木曜日

ミネアポリス美術館副館長マシュー・ウェルチさん4


 食事が終ると、途中のビデオ・ショップで借りてきた「スター・ウォーズ」を、ワクワクしながら一緒に堪能しました。すでに日本でもいわゆる旧3部作が公開されて話題になっており、僕も第1作の「スター・ウォーズ」だけは見ていましたが、やはり誕生地のアメリカで見ると感動がちがいました。だからこそ、いつも僕は言っているんです。

 「美術品は所蔵美術館で! 地酒はその土地で!!

終るとまたおしゃべりが始まり、おいとまをしたのは10時半を過ぎていました。マシューさん、ありがとう!! 貴兄のお陰で、チョット刺激の少ないローレンス生活が、どんなに楽しく思い出深いものになったことでしょうか!!

 

2021年6月2日水曜日

ミネアポリス美術館副館長マシュー・ウェルチさん3


 日本美術のセミナーを1つ担当するのと、アディスさんが準備していた日本美術事典の翻訳を手伝うのが主な仕事で、その翻訳を一緒にやったのがマシューさんでした。そのときマシューさんから、日本美術に関するいろいろな英語表現を学んだことが、その後おおいに役立ったことは言うまでもありません。

それだけじゃ~ありません。マシューさんは、はじめてのミッド・ウェスト・チョンガー生活に戸惑う僕を、親身になって助けてくれました。そしてある日、自宅に招待してくれたんです。その日の夕方、ケンタッキー通りのアパートメントで待っていると自動車で迎えに来てくれ、心づくしの手料理で歓待してくれました。

2021年6月1日火曜日

ミネアポリス美術館副館長マシュー・ウェルチさん2

アディスさんのもとで日本美術を学ぶ学生であったマシューさんは、シンポジウムの実行部隊長といった感じでした。そのシンポジウムで僕が「俵屋宗達のコンポジションと美術史的意義」と題するつたない発表を行なったことは、以前アップしたことがあったように思います。その発表準備を含めて、何から何までマシューさんにお世話になったのでした。

 そして3年後、またアメリカでマシューさんに会う機会が巡ってきたのです。19863月~4月の2ヶ月間、スティーブ・アディスさんがカンサス大学のゲストとして僕を招聘してくれたからです。アディスさんはケンタッキー通りの洒落たアパートメントを確保してくれ、そこから毎日大学へ自転車で通いました。