2025年11月30日日曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」11


 「憐れむべき飛燕ひえん新粧に倚よるの風情」とは、李白の七言絶句「清平調詞<せいへいちょうし>」其の二から採った一句です。これは玄宗・楊貴妃が牡丹見物をした際、急遽呼び出された李白が即興で詠んだ3首だそうですが、そのとき李白は二日酔いだったというのですからすごい!! いや、二日酔いだったから、うまく出来たのかな( ´艸`)

 飛燕は前漢・武帝の寵姫にしてもちろん美女、日夜武帝を誘惑したので、ついに帝は腎虚となり崩御されたそうです(!?) またまたマイ戯訳で紹介することにしましょう。

  一枝<いっし>の紅き牡丹花に 露 降<お>り香りを集めてる
  覚めたら巫山<ふざん>のかの女神 居らず襄王 落胆す
  漢の大奥 楊貴妃に 匹敵する美女おりますか?
  もちろんいますよ!! 化粧した ばかりの可憐な飛燕です!!

 戯訳の2句目をさらに意訳すれば、「女神がどんなに美人でも 今いる美人にゃかないません」となるでしょう。

2025年11月29日土曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」10

 


 此の梅歌といえるは、其のむかしは北の方(吉原)にて何やの誰といいしさる■の女郎なりしが、少し訳ありて、此の里へ来りし也。彼の廓<くるわ>に有りし時分より、此の客と色事にて、たがいにあだしのの露とともに消えて、未来で添おうの何のかのという仲とはなりにけり。一体器量もよくたおやかにして、宗理もこれが為に筆を断ち、かの京橋がたくみ(山東京伝)もこれが為に筆を投げ、憐れむべし飛燕新粧に倚るの風情、隅田川の水に染みし人柄なり。まだ里の風を好み、板締めの胴に、袖と裾とへ金入の接<はぎ>し額むく。一際目立つ言葉がら。

 *■のところには/\を2つ重ねたようなマークが入っています。これは「吉原細見」で最高格の遊女である「よびだし」を表わすマークです。「額むく」の「むく」は他動詞の「向く」で、額<ひたい>を向けるの意味かな?

2025年11月28日金曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」9


 道広の弟に泰卿(泰郷)、狂歌名を文京という通人がいて、酒井抱一と親しく、松江藩主・松平不昧<ふまい>の弟・雪川<せっせん>と合わせて三公子と呼ばれていました。これはよく知られた事実で、かつて「酒井抱一の伝記」という拙文を書いたときも、触れたように思います。ところが、この泰卿が笹葉鈴成だという説もあって、もうこうなると何がなんだか分からなくなっちゃうんですが( ´艸`)

 さらに泰卿の下の弟に、アイヌの酋長を描いた「夷酋列像」で有名な蠣崎波響がいました。彼らはみな北斎と親しかったか、少なくとも相識だったことでしょう。天明文化を中心に、このように武士でありながら、ドロップアウトや自己韜晦をはかった知識人によって江戸文化が作られたことは、すでによく知られているところです。

 『大通契語』は江戸新宿の色町、つまり岡場所をテーマにした洒落本です。もと吉原の花魁で、いまはここの遊女になっている梅歌について説明する箇所に、つぎのごとく宗理が、つまり北斎が登場するのです。私意を加えてチョッと読みやすくして掲げれば……
 

2025年11月27日木曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」8


 著者は凡例末に記される笹浦鈴成ですが、どういう人かよく分かりません。ところが別に、笹葉鈴成という人がいるんです。この人についても不明でしたが、水野稔先生や中野三敏先生が、『<諸家人名>江戸方角分』という本などによって、松前藩主・松前道広の次男である松前百助であることを明らかにされました。この本は僕も持っているので開いてみると、確かに「文季 (狂名)笹葉鈴成 (号)季井庵 (浅草)(新寺町)志(摩公)次男 松前百助」として載っています。

 この志摩守とは松前藩主道広、NHK大河ドラマ「べらぼう」ではえなりかずきさんが熱演していましたね。その次男が笹葉鈴成だというのですが、弟の武広だという説もあるようです。中野先生は笹浦鈴成と笹葉鈴成は別人であるとされていますが、同一人の可能性もあるのではないでしょうか。つまり松前百助が『大通契語』の作者なのかもしれません。両名とも山東京伝の仮名であるという説もあるようですが、今やAIに文章分析をやってもらえば、すぐに答えは出ることでしょう。

2025年11月26日水曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」7

 


 狂歌絵本『花の兄』に描かれる美人は、先に述べた宗理型と呼ばれるスラリとした美人のスタイルです。この北斎宗理型美人は、当時すごい人気を集めていたのです。それを証明するのが、「ごあいさつ」にも取り上げられていた洒落本『大通契語<だいとうけいご>』です。カタログでは、『花の兄』の対向ページにすみだ北斎美術館所蔵本が出ています。


 『大通契語』(寛政12年<1800>)は『洒落本大成』18(岩波書店 1983年)にも翻刻されて収められる洒落本ですが、いまや国書データベースなどによりオリジナルの形で見ることができます。愉快な「自序」の一節を、今の言葉にして直してみました。僕の意訳もチョット入っているかな( ´艸`)

客は羽織を質に入れても遊廓に出かけ、衣衣<きぬぎぬ>(暁の別れ)を惜しむ。ところが、遊女の方はまたの逢瀬を約束しながら、一昨日<おととい>また来てねなんて思っている。遊女に誠<まこと>はなく、客には金がないんだからしょうがない。阿弥陀様もお賽銭をたくさんあげれば、よく光を放ってご利益も増す――これは自然の道理というものだ。

2025年11月25日火曜日

東京国立博物館「運慶」


東京国立博物館「運慶 祈りの空間 興福寺北円堂」<11月30日まで>

 残すところあと5日となりました。奈良・興福寺の北円堂から運慶のノミになる弥勒如来が東京上野へ飛来して、その特別展が東京国立博物館本館特別5室で始まったのは、めでたき重陽の日でした。弥勒如来だけではありません。かの無著と世親も一緒に連れて来てくれたんです。

 運慶――僕がもっとも尊敬する仏師です。お像の前に立ったら、いや、額づいたら、もう何も考える必要はありません。考えてはなりません。ただ凝視し、対面させていただき、しかるべき時が経ったら、独り静かに会場をあとにすればよいのです。もし何かそのお像について、運慶について、鎌倉彫刻について考えたいのなら、上野公園へ出てからにすべきです。

 現代人が会場で、大脳や小脳を働かせたりしてはなりません。それはお像に対して不遜であり、運慶に対して失礼です。つまり仏教彫刻ではなく、仏様として見るべきなのです。内覧会で凝視するうちに、そう確信するようになりました。もちろん僕は、この特別展をNHK青山文化講座「魅惑の日本美術展」で取り上げました。しかし、ただ凝視せよと言ったのでは90分もちませんから、いろいろと独断と偏見を開陳しましたが……( ´艸`)

2025年11月24日月曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」6


 この狂歌絵本『花の兄』の所蔵者は浦上蒼穹堂さんです。浦上蒼穹堂さんには、先代のご主人から2代にわたってお世話になってきました。とくに現在のご当主は『北斎漫画』の大コレクターとして有名ですね。いや、画狂人北斎にならっていえば「漫画狂人」というべきかな( ´艸`)

 カタログ解説によると、この浦上蒼穹堂本のほかには、ボストン美術館にあるだけという稀覯本だそうです。調べてみると、このボストン美術館本はかつて里帰りをしたことがあるようですが、まったく記憶に残っていません。したがって僕にとっては、今回はじめて見る北斎の狂歌絵本ということになります。

 このブログにも『花の兄』の画像をアップしようと思い、ネットで検索するとボストン美術館本のみが出てきたので、これを使わせてもらうことにしました。浦上蒼穹堂さん、お許しください!!

2025年11月23日日曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」5

 
 もっとも僕は、かの狂歌絵本『隅田川両岸一覧』を文化3年(1806)の出版と考えるので、この年までを宗理型美人(狂歌絵本)時代としています。そして滝沢馬琴との合作ともいうべき読本の傑作『椿説弓張月』が出版され始めた文化4年から、還暦までを読本時代と名づけています。ちなみに『花の兄』の落款も「宗理改北斎画」となっています。

 『花の兄』に見られる伸暢感覚は、人物画だけじゃなく、風景画にも花鳥画にもうかがわれるように思います。そうだとすると、伸暢感覚は北斎が持って生まれた感覚だったのではないでしょうか。この挿絵でも、凧がとても効果的に使われていますが、これこそ北斎の伸暢感覚を刺激するモチーフだったように思われます。ちょうど富士山が北斎の伸暢感覚を興奮させるモチーフだったように……。

2025年11月22日土曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」4


  確かに「華奢」ですが、とても健康的でスラリとし、その身丈<みたけ>が成長期の少女のように、さらに伸びて行きそうな感じが魅力的ですね。北斎の美人図に見られるこのような感覚を、かつて僕は「伸暢感覚」と呼んだことがあるんです。

 寛政7年(1795)北斎は江戸琳派の創始者ともいうべき俵屋宗理から宗理号を贈られました。ここに宗理時代が始まるのですが、この時期北斎は『花の兄』に見られるがごとき独特な美人画様式をもって一世を風靡したのです。これを宗理型美人と呼び、この時期を宗理型美人時代ともいうんです。

 3年後には宗理号を門人宗二に譲り、ほぼ同時に北斎辰政<ときまさ>と名乗り始めたようですが、宗理号は「北斎宗理」とか「宗理改北斎」として使われて残り、宗理型美人も描かれ続けたので、この特別展では文化年間前期までを宗理期としています。

2025年11月21日金曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」3



 この春興狂歌集に、北斎が魅力的な美人風景図を寄せています。解説によると、現在の新宿・神楽坂あたりの風景で、遠景に牛込御門近くにあった堰の落し口が描かれています。これは「どんどん」と呼ばれて、よく知られていました。

 若草もチョッと芽吹き始めた河原を、3人の美人と、連れの子どもをしたがえた男が歩を進めています。みんな町家の人のようです。正月の恵方参りにでも出かけた帰りなのでしょう、美人の一人は繭玉を肩にかけています。以上はカタログによるところですが、芳賀徹先生のおっしゃる「パクストクガワーナ」を、北斎が現代によく伝えてくれています。

 解説に「狂歌絵本らしい上品な色調と宗理型のうりざね顔の華奢な美人の様式は調和がとれており、正月の華やいだ風情を品よく伝えています」とあるとおりです。

2025年11月20日木曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」2


 北斎は、時代によって画風を大きく変化させており、その背景には、当時流行の美人画のスタイルとの密接なかかわりがあります。本展では、長春から北斎に至る系譜の美人画の諸作や、北斎と同時 代の浮世絵における名手たちの作品とともに、北斎の作風の変遷を追い、その魅力と美人画の分野に おける立ち位置を明らかにしたいと思います。

 「僕の一点」は絵本『花の兄』ですね。これは蘭奢亭香保留(らんじゃていかおる)が主宰していた柴舟連を中心とした春興狂歌集です。カタログには寛政10・11年(1798・1799)とありますが、寛政10年の暮に出来て、翌年の新春をことほいで配られたという意味なのでしょうか。「花の兄」とは梅の花のことで、おもに梅の狂歌を集めてあるそうです。

2025年11月19日水曜日

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」1

 


すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜――名手たちとの競演」<11月24日迄>

 

 かつて饒舌館長が葛飾北斎の口演をやったこともあるすみだ北斎美術館では、「北斎をめぐる美人画の系譜――名手たちとの競演」という魅惑の浮世絵特別展が開かれています。まずは館長の大久保純一さんと、キューレーターの山際真穂さんの巻頭論文から始まるすばらしいカタログの「ごあいさつ」によって、展覧会の趣旨を知ることにしましょう。

 

現代では、北斎というと「冨嶽三十六景」をはじめとする名所絵風景画で有名ですが、寛政一二年(一八〇〇の洒落本『大通契語だいとうけいご』では、美人画の名手として取り上げられるほど世に認められていました。本展では、美人画の名手としての北斎のルーツと、その画風の変遷に注目します。 北斎が浮世絵の世界に足を踏み入れた際に師事した勝川春章も美人画の名手で、「春章一幅直千金」 (洒落本『後編風俗通』、安永四年一七七五)という高い評価を受けていました。北斎は、肉筆画を専門 にし、繊細で優美な美人画風を特徴とする宮川長春、その弟子の宮川(勝宮川)春水、そしてその弟子の春章という、美人画の正統の流れに位置付けられます。 

2025年11月18日火曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展6

  

 『陸游集』では3句目が「風林一葉下」となっていますが、蘇さんは「楓林一葉下」とされています。詩中一点の朱といった感じになりますが、蘇さんがあえてにされたか、あるいはになっている版があるのでしょう。 

少なくとも唐詩では、版により字が異なっていること珍しくありません。なかには作者まで違っていることがあるです。例えば『唐詩選』に載る張謂の「喬琳に贈る」という七言古詩は、劉シン虚という人の作とも言われているそうです。また『唐詩選』で駱賓王の作となっている「霊隠寺」という五言排律は、実際のところ宋之問のだそうです。もっとも駱賓王作、ある逸話から生まれた異説のようですが……。 

蘇さんにしたがって「楓」を採れば、「楓林の真っ赤に染まった一葉ひとは露けし草にすだく虫たち」となるでしょう。これまた素晴らしいですね!! 

2025年11月17日月曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展5

 

 頂戴した作品集の終りには、書幅が7点掲出されています。その最初は僕が大好きな南宋の詩人・陸游の「秋夜紀懐 三首其の三から2句を採った書幅です。家蔵する中華書局版『陸游集』で調べると、この3首は第35巻に載っていました。 

この五言律詩をまたまたマイ戯訳で紹介しましょう。今回はお馴染みの七五調を止め、2句を一緒にして和歌みたいに訳してみました。なお「散関」というのは、陝西省宝鶏県の南西、秦嶺山脈大散嶺の隘路にあった古関だそうです。

 

  夜の空見渡すかぎり広がって北斗またたき銀河も横たう 

  林木の風に吹かれて一葉ひとは散り露けし草にすだく虫たち 

  涼秋にやまい少しよくなって夢うつつにて一首詠みたり 

  散関さんかんを越え松明たいまつ迎えらる宿場の思い出したり 


2025年11月16日日曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展4

  


 今回の出品作は「晶瑩剔透」――紫色と緑色の葡萄を力強くとらえた墨彩画の大幅です。その葡萄の瑞々しさ、内からはじけるような生命感、紫と緑の得もいわれぬコントラストに感を深くしました。蘇さんからは大冊作品集『芸海遊踪 八十回顧展専輯 蘇峯男』(国立国父記念館 2023年)を頂戴いたしました。僕は「葡萄名酒夜光杯」で始まる王翰「涼州詞」の中国語暗唱をもってお礼とさせていただきました。
  ヤジ「そんなもんがお礼になるのか!!」
 蘇さんの画が素晴らしいことはいうまでもありませんが、書もまたすぐるとも劣ることがありません。画に添えられた題や賛詩によって生まれる「詩画補完」の美しさに魅了されます。

2025年11月15日土曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展3

  

 僕が『趣味の水墨画』や『月刊 水墨画』に拙文を書かせてもらっていたころ、水墨画に対する人々の関心と興味は、もっともっと高かったように思います。それを少しでも呼び戻すべく、微力ながらこれからもお手伝いさせてもらおう‼ ギャラリートークを拝聴しながらそんな思いを新たにしたことでした。

 台湾墨彩画作家の主賓は国立台湾芸術大学名誉教授の蘇峯男さんでした。蘇さんは藤崎千雲さんが台湾に留学したとき、温かき指導を受けた老師です。僕にとっては、千墨会の25周年記念展でお会いしたとき以来、6年ぶりの再会です。蘇さんは1943年生まれの82歳、つまり僕と同じお年なのです。

 *「饒舌館長ブログ」では、鬼籍に入られた方のみ「先生」とお呼びし、お元気な方はひとしなみに「さん」とさせてもらっています。お許しくださいませ。





2025年11月14日金曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展2


 この全日本水墨作家連と千墨会の協力により「日本台湾水墨作家交流展」が開かれることになったのです。水墨画とともに墨彩画なる形式にも興味をもってきた僕は、自分の眼で確かめるべく、藤崎千雲さんから招待状をいただき、最終日に戸塚さくらギャラリーに駆けつけました。
 台湾から20名もの墨彩画家が来日され、日本の水墨画家と一緒にギャラリートークが行なわれました。日本語と台湾語と中国語が飛び交って、立錐の余地なき会場は熱気に包まれました。
 日本ではかつての水墨画人気が少し薄れているようにも感じられ、チョッと寂しい思いを抱いてきました。しかしこの日は、しばらくぶりに水墨画創造への熱きエネルギーを肌で感じたのでした。 

2025年11月13日木曜日

日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展 1

 
 今月の5日から10日にわたり、日本台湾水墨作家交流展・第31回千墨会小品展が戸塚さくらプラザギャラリーで開かれました。主催は全日本水墨作家連と千墨会です。全日本水墨作家連は日本の第一線で活躍する水墨画家が、切磋琢磨して創造性を高めることを目的として組織した団体です。

 千墨会は全日本水墨作家連の同人でもある藤崎千雲さんが主宰する水墨画グループです。去年節目の第30回千墨会展が開かれたこと、これを機に千雲さんがお弟子さんの葛西千麗さんに後を託したこと、僕も駆けつけてお祝いしたことについては、去年この「饒舌館長ブログ」にアップしたように思います。

2025年11月12日水曜日

三井記念美術館「円山応挙」6


  しかしカタログには、興味深い異なる説が紹介されています。木賊は漆や木製品の研磨に用いられるところから、和歌などにおける修辞で、しばしば光り輝く月と結びつけられるというのです。僕は単に謡曲から推定しただけでしたが、もっと具体的な関係があったことを知って、とてもうれしく感じました。

 いずれにせよ、描かれない月と、描かれる兎・木賊はちょうど三角形をなしているんです。描かれた兎も木賊もともに描かれない月と結びつくと同時に、兎と木賊も歯磨き関係(!?)で結びつくというわけですが、これらはすべて文化的観念あるいは伝統的視覚でした。

 以上をまとめて、僕は「応挙は写生を何よりも重んじた実証主義の申し子であったが、しかし同時に、伝統的な視覚形式からも抜きさしならぬ影響を受けていた。応挙画の魅力は、その微妙な均衡に求められるのである」なんて結論めかして書いています。しかし今読んでみると、30年前は俺も若かったなぁという感慨にとらわれます( ´艸`)

2025年11月11日火曜日

三井記念美術館「円山応挙」5


 僕は応挙写生図巻のなかにある兎の写生をあげて、応挙が写生をもとにこの作品を仕上げたこと、ここにも写生主義者応挙の制作態度がよく看取できることを指摘しました。しかしそれだけではなく、ここには文化的な観念あるいは伝統的視覚も働いていたことを加筆したのです 

つまり兎といえばお月さんですが、背景をよく見ると月光を暗示させるキラキラとした雲母が刷かれているのです。また兎は木賊で歯を磨くという言い伝えも、応挙が知っていたことは明らかでしょう。それだけではありません。謡曲の「木賊」には、シテ(老翁)の「木賊刈る、園原山の木の間より、磨かれ出づる、秋の夜の月夜をもいざや刈ろうよ」という章句があるです。つまり木賊も月と結びつきやすい植物だったのです。木賊と月は縁語関係に結ばれているといってもよいでしょう。 


 

2025年11月10日月曜日

三井記念美術館「円山応挙」4


  「僕の一点」は円山応挙の「木賊兎図」(静岡県立美術館蔵)ですね。メダマとも言うべき讃岐・金刀比羅宮の障壁画や国宝「雪松図屏風」(三井記念美術館蔵)、あるいは応挙と伊藤若冲の新出合作二曲一双「鯉鶏図屏風」を差し置いて、どうして「木賊兎図」なのか? 答えは簡単、30年前、僕が『國華』1196号に初めて、いや、ほとんど初めて紹介した記念碑的作品だからです´艸`)  

普通、作品を見てから『國華』に解説を投稿するまで、性怠惰にして何年もかかるのですが、このときはあまりの素晴らしさにソク書き始めたように思います。そのあとすぐ静岡県立美術館がコレクションに加え、『國華』にはその所蔵として載ったこともうれしいことでした。 

2025年11月9日日曜日

三井記念美術館「円山応挙」3


  そんな応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。そして、多の弟子たちが応挙を慕い、巨匠として円山四条派を形成することとなりました。 

豪商三井家が応挙の有力な支援者であったことから、当館には良質な応挙作品が複数収蔵されています。このうち本展のために、国宝「雪松図屏風」を筆頭とする優品を選び展示いたします。さらに各所に所蔵される重要な作品を加え、応挙が創り上げた革新的な絵画世界をお楽しみいただきます。 とくに今回は、香川・金刀比羅宮様のご厚意により、北三井家五代・三井高清が資金援助をした、重要文化財の表書院障壁画のうち二十面の展示も実現いたしました。 

2025年11月8日土曜日

三井記念美術館「円山応挙」2


  本年、二〇二五年十月八日に、三井記念美術館は開館二十周年を迎えます。二〇〇五年の開館以来、大きなテーマを深く掘り下げた特別展と、所蔵品を多角的な視点で構成した企画展を一〇〇回ほど開催して参りました。(略) 

本展覧会の主役である円山応挙(一七三三一七九五)は、従来より江戸時代を代表する画家として、確固たる地位を占めて高く評価されてきました。ところが近年、伊藤若冲をはじめとする「奇想 の画家」たちの評価が高まるにつれて、いくぶんその注目度が低くなっていることは否めません。 

しかし、応挙こそが十八世紀京都画壇の革新者でした。 写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように眼前に迫ってきたのです。応挙の絵は、二十一世紀の私たちから見れば、「ふつうの絵」のように見えるかもしれません。しかしながら十八世紀の人たちにとっては、それまで見たこともない「視覚を再現してくれる絵」として受けとめられたのです。