館長の鈴木利昌さんから、崋山先生の祥月命日にふたたび講演を頼まれた僕は、「饒舌館長、渡辺崋山の眼差しを語る」と題して、例のごとくおしゃべりトークを試みました。自然への眼差し、社会への眼差し、自身への眼差しの三つに分けて、崋山における<真>への眼差しをしゃべったのです。
配布資料には、去年「饒舌館長」にアップした「田能村竹田の勝利とエルヴィス・プレスリー」の一部を引用しました。吉澤忠先生がかの名論「田能村竹田の敗北」のなかで、「このような日本の芸術家がたどらなければならなかった悲しい運命の一つの型を、わたくしたちは、いわば渡辺崋山とは対蹠的に、竹田に見ることができるのではないだろうか」と、崋山の名前をあげているからです。
わざわざ駆けつけてくれた豊橋市美術博物館館長の毛利伊知郎さんは、帰りの渥美鉄道田原線のなかで、「たいへん興味深いお話でした」と褒めてくれました。どうしてかって? 毛利さんは、僕の名古屋大学時代の教え子だからです(!?)
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