一方、真言密教や禅は、このような見方を否定し、有形なるものは無形もしくは空虚(シューニャ)である――すなわち両者は同一であると考えるのだ。
しかし、このような問題を対話形式で論じた『点眼薬』という随筆のなかで、仙厓は禅を真言密教よりも高く評価し、禅はより一層直接的、即応的であり、いわゆる言語遊戯に陥ることなく、ズバリ核心を突いてくると述べている。
この点において禅は、知識などという初期的段階で右往左往している<眼>にとって、もっとも効果的な点眼薬となるのである。その程度の<眼>が、マハーシュバラ(御仏)によって開眼された<眼>に昇華するのである。それは絶対的真理の秘密を、直裁的に見抜く神の<眼>である。
この段階への開眼つまり頓悟は、何であれ言葉による教えを超越し、突然にやってくるのだが、それは本質的に真言密教から欠けているものなのである。
*カタログの「仙厓略年譜」によると、『点眼薬』は仙厓の著作で、文化14年(1817)7月、68歳のとき、その跋が書かれています。
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