第3回、(明治)35年4月には、(山中)古洞が、(幸田)露伴の「二日物語」を、私(清方)が、(尾崎)紅葉の「金色夜叉」を、これは二人が申合せて製作出品した他に、江戸時代文学を全員の課題に撰んだ。英朋の「梅ごよみの米八」、(河合)英忠の「浮世風呂」、(福永)耕美の「膝栗毛」、(池田)輝方「曲三味線」、(高田)鶴僊「弓張月」、(須藤)宗方「女房気質」、清方「田舎源氏の黄昏」その他であるが、特に英朋の「梅ごよみ」は、仲間の批評会でも、見物側の評判にも一致した好評であった。
為永春水の「梅暦」は小本又は人情本の名で呼ばれた類での代表作と見られているが、天保3年に出版されてから50余の巻を重ねて一旦大尾になっても、読者これを承知せず、作者も是非なく初編以前に溯って「梅暦発端、恵の花」6冊を追補したのを見ても、いかに読者に迎えられたかが解る。(略)
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