2024年9月23日月曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」13

 

この慶事を記念するために、少なくともこの慶事に際して制作されたのが「江戸名所図屏風」だというのが私見です。描かれる唯一の大名屋敷は松平伊代守、つまり叔父である忠昌の屋敷なのですが、これをもって光長を含む松平家を象徴させたのでしょう。

あの不忍池に飛来したというペリカンを大きく描き込んだのも、もちろん珍しくしかも話題になったからですが、その写生を家光の御覧に供したことに加え、のちに「大猷院殿御実記」に記録されるほど家光時代の記念すべき出来事だったからではないでしょうか。もしそうなら、松平家が制作を命じる画家は、岩佐又兵衛をおいてほかにないはずです。寛永6年といえば又兵衛52歳、辻惟雄さんによれば、47歳のころから福井における又兵衛の画業が活発化するそうです。まさに脂の乗り切った時期です。


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