絵のすぐれた出来栄えに加えて、亀田鵬斎の賛が作品のクオリティーを高めていますが、もう一つ、箱書きを見逃すことができません。かの酒井抱一が蓋表にタイトルを、蓋裏に南岳と鵬斎をたたえる一文を書いています。しかも文化9年(1812)の年紀があります。新しい箱に、その部分だけを遺した形になっていますが……。
しかしどうして京都で生れ京都で活躍した渡辺南岳の作品に、江戸で活躍した鵬斎や抱一が関与することになったのでしょうか?
それは南岳が江戸に下ったことがあり、江戸の文人たちと交流したからなんです。とくに抱一とは金蘭の友だったように思われます。
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