静嘉堂文庫が所蔵する『軽挙館(観)句藻』は、抱一の自筆稿本であり、抱一研究の第一次資料としてもよく知られています。その「放鶯処」と題される1冊を見ると、文化10年(1813)の条に次のように記されています。
む月四日南岳身まかりけるよし門人寛柔が書状とゞきけるに
春雨にうちしめりけり京の昆布
渡辺南岳はこの年1月4日、47歳で没し、東山の双林寺に葬られました。南岳の弟子である土方寛柔が、書状に京都の昆布を添えて師の逝去を知らせてきたので、抱一は上記の一句を手向けたのです。寛柔については何も分からず、作品を見たこともありません。しかし文化10年版『平安人物志』に載っていますので、当時は一応知られた画家だったのでしょう。
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