武四郎は、自分が死んだらこの「一畳敷き」を解体して荼毘の薪にし、骨は大台ケ原に埋葬してほしいという遺言を残して旅立ったそうです。しかし「何だ、辞世の歌と話が違うじゃないか?」なんて、いわないでください。武四郎は矛盾した人間だなんて、簡単に結論を下さないでください。おそらく幕末明治といえども、亡骸をそのまま田圃に打ち捨てておくことなど、絶対許されなかったでしょう。
辞世はナチュラリスト武四郎の憧憬――もしそれが可能なら、どんなに素晴らしいことだろうなぁという憧れの気持ちであったとみるべきです。
憧れといえば、僕が武四郎に憧れるのは、まずその行動力ですね。16歳にして手紙を残し、突然家出をして江戸まで行ったのを皮切りに、全国をくまなく旅行して回った行動力です。その記録を整理して出版することができたのも、すぐれた行動力があったればの話です。
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