「僕の一点」は小杉放菴の「大宰帥
だざいのそち大伴旅人卿讃酒像」ですね。先の「ごあいさつ」にあるように、小杉放菴は出光佐三が愛して止まない同時代の画家――コンテンポラリー・アーティストでした。カタログの「関連略年表」によると、両者の親交が始まったのは、昭和
5年(
1930)のころでした。この年、放菴は
49歳、佐三は
45歳でしたから、ちょうど兄弟といってもよい年齢差だったことになります。放菴が妙高高原の赤倉に別荘を建て、安明荘と名づけた記念的な年でもありました。
放菴は昭和3年から3年間にわたり、九州各地に旅のワラジを脱ぎました。もうワラジじゃなく靴だったと思いますが……(笑) その成果として、「鎮西画冊」と題する5帖100余図からなるアルバムが生まれました。
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